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★映画『アバウト・シュミット(About Schmidt)』を見た (2003.06.04)
★映画『メメント(Memento)』を見た (2003.05.15)
★映画『魔界転生』を見た (2003.05.11)
★映画『星に願いを。』を見た (2003.05.03)
★映画『耳に残るは君の歌声(he Man Who Cried)』を見た (2003.03.20)
★映画『レッド・ドラゴン(Red Dragon)』を見た (2003.03.15)
★映画『戦場のピアニスト(The Pianist)』を見た (2003.03.05)
★Quidam (2003.02.23)
★オグオブ (2003.02.10)
★カリバカ (2003.02.03)







★映画『アバウト・シュミット(About Schmidt)』を見た

映画『アバウト・シュミット』 を見てきた。

『About Schmidt』
監督:Alexander Payne(アレクサンダー・ペイン)
出演:Jack Nicholson(ジャック・ニコルソン)、Kathy Bates(キャシー・ベイツ)、Hope Davis(ホープ・デイヴィス)、Dermot Mulroney(ダーモット・マルロニー)
2002年・アメリカ映画
125分

たまたま文庫でスティーブン・キングの『シャイニング』を読んでるときに、見に行ってしまった。そんなわけで、主演のジャック・ニコルソンがいかに定年退職してくたびれたおじさんを演じていようと、そのうしろにクローケーの槌やら大きな植木バサミやらを振り回して迫ってくるジャックの姿が見え隠れしてしまうのでした。しまったなぁ、こんなタイミングでこの本を読むんじゃなかった。

映画自体は、なかなかよい話で悪くないです。コアとなるストーリーや、それを彩る場面場面のどちらもが、ちょっとこじんまりした印象だけど、適度に笑いもあり、適度に孤独な悲しみもありで、まぁいい感じにできてるんじゃないでしょうか。 自分個人としては、主人公のウォーレンに共感できないけどね。

ただ、こういったコメディではないストーリーでの「笑い」って、もう少し「味わい」がほしいなぁ。定年を機に自分がいままで「当然」と思っていたもろもろが以下にもろいものだったかを知る、というような話なわけだから、ここでの「笑い」は「悲劇と喜劇は紙一重」なものであってほしかった。いや、そういうものではあったのだけど、もっとそれがはっきりと伝わるようになっていればなぁ。

ともあれ、ジャック・ニコルソンはあいかわらず怪演。『プレッジ』のときよりもよかったかも。

(2003.06.04)




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★映画『メメント(Memento)』を見た

映画『メメント』を見てきた。

『Memento』
監督:Christopher Nolan(クリストファー・ノーラン)
出演:Guy Pearce(ガイ・ピアース)、Carrie-Anne Moss(キャリー=アン・モス)、Joe Pantoliano(ジョー・パントリアーノ)
2000年・アメリカ映画
143分

封切されたときは渋谷の単館上映だったので見られなかったんだよなぁ、この映画(自分は、子供だらけで動線の整理されていない渋谷という街と、渋谷に出るために使わざるをえない山手線の正常な神経をでは耐えられない混雑が大っ嫌い)。なので、近所の名画座で見られてとってもラッキー。

これ、ベースになってるストーリー自体は、じつはたいしたことがないんだね。ただ、10分しか記憶を維持できない主人公という設定と、それに合わせて時間が逆行していくという物語の運び方に、オリジナリティとエンタテインメントとしての妙味がある。そういった「つくり」の面で、とても「うまいなぁ」と感じさせる。

いうなれば、アイデアの勝利といったところか。最後まで「これはどういうことなんだろう」と観客に考えさせるようにできていて、適度の緊張感を持ち続けながら画面を見ていられる。

また、逆行していく時間(場面)と時間軸に沿って進む場面(モノローグ)が交互に現われるのも「やるなぁ」と思わせる。そして、その2つの時間軸がクライマックスである1点に帰着するあたり、とてもよく考えられた脚本だと思った。

きちんと最後まで「10分しか記憶が維持できない」という主人公の特性を存分に活かしていて、この設定がたんなるこけおどしじゃないってことを見せてくれた。この物語を書いた人って、頭がいいんだろうな、きっと。

自分は事前に、この映画は時間が逆行して描かれていくこと、主人公は10分しか記憶を維持できないことを、情報として知っていたから、それを意識しながら画面を見ていたので、本来の時間軸での物語の展開についてもおおよそ理解できたけど、そういった事前の知識や心構えなしに、いきなり映画館でこの映画を見たら、かなり困惑しただろうな。映像の意味やつながりを追うことすらままならず、なんだかわからないままに上映終了を迎えてしまったかもしれない。その意味では、ある種の予習が必要な映画かもしれない。

斬新なアイデアにあふれた、とても近代的な映画だと思う。のちに発売されたDVDでは物語を正常な時間軸に沿った形で並べ替えたものが得点映像として収録されているらしいけれど、それは間違いだろうな。この映画の醍醐味は、時間が逆に流れていくというその点にこそあるのだし、そういうつくりであるからこそこういう物語でも楽しめる。この物語を正常な時間軸に沿って見たところで、この映画の本来の「楽しさ」の部分が見えてきたり増大したりといったことはないんじゃないだろうか。

何度も見たい映画だとは思わないけど、1度は見ておきたい、とてもインパクトのある作品だと思った。

(2003.05.15)




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★映画『魔界転生』を見た

窪塚洋介くん主演でリメイクされた映画『魔界転生』を見てきました。

監督:平山秀幸
出演:窪塚洋介、佐藤浩市、麻生久美子
2003年・日本映画
105分

うわさには聞いてたけど、新宿の600人くらい入る映画館で、観客は20人くらいとガラガラ。金曜の夕方6時40分からの回と、たしかに中途半端な時間ではあるけど、とても「今週の興行成績第10位」に入っている映画とは思えん。

沢田研二さん主演で前回に映画化されたのは、もう20年も前のことだそうだ。これは自分はテレビで見ただけで、劇場では見てないし、ストーリーとかもよく覚えてないのだけど、それでも見ていてワクワクしたし、かなりおもしろい映画だったような記憶がある。沢田さん演じる天草四郎の妖艶な立ち居振る舞いや、はねられた首を自分で抱えるといったシーンも、ばかばかしいともいえるけど、映画というエンタテインメントらしい楽しみがたくさん詰まっていたように思う。

一方、窪塚くんが天草四郎を演じた今回の『魔界転生』は、そういったワクワク感があまりないんだなぁ。全体にストーリーの運びが遅くて、もっさりしてる。

窪塚くんは抑えた台詞回しで雰囲気を出そうとしている意図は感じられるし、それはそれでそれなりに効果を発揮していると思えるのだけど、厚みや深みといったものが足りない。もともと窪塚くんって台詞回しが軽くて、あまり感情の抑揚が感じられない俳優さんだと思う。それが彼の「俳優」としての魅力のひとつではあるけれど、天草四郎という役にはあわないんじゃないかな。魔界からの生き返りという、ある種の妖艶さ、不安定感といったものを体現するキャラクターとして窪塚くんを選んだのかもしれないけれど、それプラス「凄み」というものが天草四郎には欲しかった。こういった「凄み」がないところが、窪塚「さん」ではなく窪塚「くん」のほうがぴったりくる理由のひとつかもしれない。

ほかの配役も、佐藤浩市さん演じる柳生十兵衛は存在感があったけどやっぱりどこか殺陣が重い感じがするし、転生したほかの魔界衆の面々はあまり存在感がない。出てきたなと思ったらすぐ殺されちゃって、なんだ?って感じ。

う〜ん、どうも全体的に子供だましっぽいというか、簡単につくられた脚本といった印象が残っちゃうな。脚本の弱さをCGその他の映像でごまかそうとしているような、そんな感じを受けた。

沢田さん主演の『魔界転生』も、いま見るとそんな印象を受けるんだろうか。

(2003.05.11)




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★映画『星に願いを。』を見た

映画『星に願いを。』を見てきた。

監督:冨樫森
出演:竹内結子、吉沢悠、牧瀬里穂、國村隼
2002年・日本映画
106分

竹内結子さんは『黄泉がえり』に続いての「死人生き返り」映画での主演なので、どうしてもくらべてしまう。それで、どっちのほうが自分にとって心に響いたかというと、『黄泉がえり』のほうだなぁ。たぶん『星に願いを。』のほうがストレートなラヴ・ストーリーだからなんだろう。

同じ「死人生き返り」でも、『黄泉がえり』と『星に願いを。』では「生き返る理由」に圧倒的な違いがある。

『黄泉がえり』は「失った人を取り戻したいという“生きている人”の側の意思』を根拠にしてる。その“意思”も、恋愛感情だけでなく、それも含めた大きな意味での“愛情”がもとになっている。そのうえ、死んだ本人の意思はあまり関係ない。この辺のひねりが魅力的なのだけど、人によってはわかりづらいと感じるのかもしれない。

一方『星に願いを。』では、主役のふたりは看護婦と患者であるだけでなく、おたがいに恋愛感情を持っているので、「死にたくない」「失いたくない」という感情が直接的に理解できる。その分ストレートに物語に入りやすいと感じる人が多そう。

でもなぁ、その「おたがいに恋愛感情を持つに至る心の動き」が、あまり上手に描かれてないように思うんだな。だから死なれてしまった悲しみが、あまり実感として伝わってこない。看護婦と患者の関係が、より深い心の交流を持つに至る過程がもっときちんと描かれていたなら、死んでしまった無念さと死なれてしまった悲しみがもっと深く伝わっただろうに。

また、短期間だけ別人として生き返るというテーマはいいにしても、なぜ生き返るのか、なぜ別人なのか、という部分の根拠が、もうひとつ説得力がない。たまたま死んだ瞬間に星が流れて「ラッキーだね」みたいな理由じゃねぇ。

せっかく「生き返り」という現象を用意したのに、けっきょくラヴ・ストーリーの域を出てないので、あまり新鮮さがないし、ラヴ・ストーリーが好きじゃない自分には楽しみにくいんだなぁ。悪い映画じゃないんだけどね。

(2003.05.03)




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★映画『耳に残るは君の歌声(he Man Who Cried)』を見た

映画『耳に残るは君の歌声』を見てきました。

『The Man Who Cried』
監督:サリー・ポッター(Sally Potter)
主演:クリスティーナ・リッチ(Christina Ricci)、ジョニー・デップ(Johnny Depp)、ケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)
2000年・イギリス/フランス映画
97分

公開のときに見そびれてしまったのだけど、近くの名画座でラスト1本800円で見られてラッキー。

これもナチス・ドイツ支配下のヨーロッパものなんですね。

クリスティーナ・リッチ演じる主人公はロシア生まれのユダヤ人。歌の上手なお父さんは、お金を稼ぎにアメリカに渡ったまま。

なんだかよくわからないままに主人公(幼女)の住むロシアの村が襲われ(襲ったのは誰?)、なんとなくドサクサのなかで兄弟(?)とともに馬車で村から逃れ、みんなでアメリカ行きの船に乗るはずがなぜか主人公しか船に乗れず(女子しか乗れないということなのか?)、その船がついた先はなぜかアメリカではなくイギリスで、そこでスージーという名前を適当につけられてイギリス人夫婦の養女になり、成長したら「アメリカに行ってお父さんを探す」と養親の家を出てパリでダンサーになり、ダンサー友達とオペラ団に入り、ジプシーと恋仲になり、パリにドイツが進行してくるというのでアメリカ行きの船に乗り、なぜか船が爆撃され(たのか?)沈没し、でも救命ボートに引き上げられて助かり、アメリカについて生死不明だった父と再会。そんな話。

なんか、いろんなところで説明不足。ウェブ上のレビューとかを見ると、村を襲ったのはドイツ人らしく、主人公をイギリス行きの船に乗せたのは慈善活動家らしいのだけど、そんなの、わかんないよ。それとも、映画のなかで説明されなくても多くの人にとって「当然知っている基本的な知識」なのかな。

それに、たとえこのあたりがわかったとしても、物語の核自体が弱い気がする。けっきょく主人公の成長物語なんだろうけど、それと「ナチス」「ユダヤ人」というキーワードがうまく結びついて機能してないように思う。べつに、あの時代を舞台に、主人公をユダヤ人にしなくても、つくれる映画じゃないかな。

ナチスのユダヤ迫害をテーマにした映画はいくつか見たけれど、この映画に関しては、あまり自分としては見どころがなかったというか、心に残るところがなかったなぁ。

それにしてもクリスティーナ・リッチ、ぷくぷくしすぎ。『アダムス・ファミリー』のときの恐い存在感はなくなってました。

(2003.03.20)




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★映画『レッド・ドラゴン(Red Dragon)』を見た

映画『レッド・ドラゴン』を見てきました。

『Red Dragon』
監督:ブレット・ラトナー(Brett Ratner)
主演:アンソニー・ホプキンス(Anthony Hopkins)、エドワード・ノートン(Edward Norton)、レイフ・ファインズ(Ralph Fiennes)
2002年・アメリカ映画
125分

レクター博士3部作の最新版というか、エピソード1? このシリーズは、『羊たちの沈黙』は本と映画で、『ハンニバル』は本で読んで、どちらもおもしろかったので好きなシリーズなのだけど、『レッド・ドラゴン』はまだ原作本を読んでないんです。なので、前2作(クラリス&レクターもの)の「本のイメージ」の延長を求めちゃったのですが、それは違ったみたい。

クラリス&レクター・シリーズには、クラリスとレクターの間にある緊張と尊敬と愛情のバランスが上手に描かれていて、そこにドラマがあったと思うのだけど、今回のウィルとレクターの間には、そういったものがあまり感じられない。

ていうか、この映画でのレクター博士は、ただの添え物っぽい印象を受けてしまう。べつに登場人物のなかにレクターがいなくてもよかったんじゃないかなとすら思う。それよりも、ウィルやミスターDをもっと丁寧に深く描いたほうが、話に奥行きと厚みが出たのじゃないだろうか。原作がそうなのかもしれないけれど、レクター、ウィル、ミスターDの3人が、同じくらいの比重で、同じくらいの重要度で扱われていることが、映画全体をうすい感じにしてしまっているのではないかな。

この物語のなかでは、とくにミスターDの心の葛藤(狂気)はすごく重要なものではないかと思う。どことなく『サイコ』のノーマン・ベイツを思い出したりしてしまったのだけど、彼をあそこまでに追い詰めてしまった親の影響力や、それによる抑圧の強さ、そこからの解放としての精神的混乱といったものが、あまりにもあっさりと描かれている。そのために、「Red Dragon」という象徴やウィリアム・ブレイクの絵画の持つ意味も、もうひとつ実感として伝わってこないし、盲目の女性とのふれあいで湧き上がる人間性への再帰も効いてこない。

原作を読んでいれば、また違った楽しみ方もできたのかもしれないけど、物語についての予備知識がないままで見るには、ストーリーも、人物描写も、人間関係も、すべてが中途半端に感じてしまう。けっきょく監督のブレット・ラトナーは、なにをいちばん描きたかったんだろう? なにか、欲張りすぎてしまったのかな。

それぞれの役者たちはみな、なかなか気持ちの入ったよい芝居をしているだけに、映画自体の「求めるところ」がよくわからないつくりになっているのが残念な感じだ。

(2003.03.15)




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★映画『戦場のピアニスト(The Pianist)』を見た

映画『戦場のピアニスト』を見てきました。

『The Pianist』
監督:ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)
主演:エイドリアン・ブロディ(Adrien Brody)、トーマス・クレッチマン(Thomas Kretschmann)
2002年・ポーランド/フランス合作映画
148分

ここ1〜2年、ナチ占領下のヨーロッパを舞台にした映画がちょっと多い気がする。自分が見たものだけでも『ライフ・イズ・ビューティフル』『ぼくの神様』『この素晴らしき世界』『バティニョールおじさん』それにこの『戦場のピアニスト』と、なかなかな本数。
それぞれの映画はそれぞれの視点とテーマを持ってあの時代を描いていて、見ごたえがあるのだけど、なかでも『戦場のピアニスト』は、かなり重い映画だった。

『ライフ・イズ〜』にしろ『この素晴らしき〜』にしろ『バティニョール〜』にしろ、過酷な時代の過酷な状況下で生きた人たちが前向きに、ある種の希望を持ったかたちで描かれているし、ストーリーのなかにも、どこかユーモラスであったり、ほのぼのとしたものであったりする、「笑い」の要素が含まれていた。その「笑い」はもちろん、愉快だから、楽しいからといった笑いではなく、過酷だからこそ、悲惨だからこそ、それと表裏一体の「笑い」だ。

でも、この映画には「笑い」がない。「希望」も「未来」もない。もっといってしまえば、「映画」というエンタテインメント作品に必要な「ドラマ」もない。まわりの善意により収容所から逃げ出せたけれど、そのあとはただ怯えているだけで、自分でなにかの影響を与えようという前向きさや、未来への希望といったものも見いだせないユダヤ人ピアニスト。「死にたくない」気持ちは感じられても、「生きのびる」ことに対する強い意志はあまり感じられない。そんな主人公の姿を淡々とつづっただけ。

また、最後に主人公を見逃す将校以外は、ドイツ兵が完全に「非人間的」なものとして描かれている。少しも感情が揺れることなく平然とユダヤ人を殺す。

実話を元にしていることもあり、特別なエピソードもなく、ただ「怯えているだけ」というのが、じつは「リアル」なのかもしれないけれど、ドラマとして見るには、もう少しさまざまな人々の感情があってもよかったのではないかな。いや、そこはすべて見る側にまかせるというつくりで、正解だったのかもしれない。特殊な状況のなかで、殺す側も、殺される側も、ともに人間的感情を失っていく様が恐ろしい。

CGに頼らないセットの質感は素晴らしく、『ギャング・オブ・ニューヨーク』に負けない。戦闘のあとの崩壊したゲットーに積もる雪のシーンの美しさ、流れるピアノの音色の美しさと、特殊状況下で感情や人間性を失っていく人々(ドイツ人だけでなく、ユダヤ人も)を見る恐怖。この対比がとてもドラマティックではある。

いい映画だとは思うけど、エンターテインメントの要素がないので、見ていてつらい映画だった。

(2003.03.05)




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★Quidam

Cirque du Soleil(シルク・ドゥ・ソレイユ)が日本にくるのはこれで5回目ですが、初来日のときの「Fascination」以外は全部のステージを見ています。見るたびに感動があるのだわ。

今回の演目は「Quidam」。いやぁ〜、すっごくよかったです。「Saltimbanco」や「Alegria」にくらべると、派手に飛んだりはねたりとか、シーソーや大型のブランコといった大道具を使った見た目に華やかな出し物はなく、そういう点では淡々としているんだけど、その分、精神世界的な、心象風景を思わすような演技とステージ展開で、すっごく心をつかまれました。

非常に幻想的で、またノスタルジィを感じるようなステージ。この「ノスタルジィ」は、英語の「Nostalgy」ではなく、日本文学で使うところの「ノスタルジィ」という感じかな。

両親と精神的・心理的に遠い位置にいた少女が顔のないQuidam(名もなき通りすがりの人)に出会い、Quidamの帽子を手にすることで、両親との関係がそうなる前の幸せな時代を思わせるような不思議であたたかくて幻想的な世界をさまよう。その一方で、娘の心がどこかへ行ってしまったことに気づいた両親のほうも、不思議で幻想的な世界の一部を自らのぞき見て、少女の世界を理解しようとする。そして最後には、少女は帽子をQuidamに返し、少女と両親がふたたび出会う……といったストーリーなのだと思いますが、多くを語らないので、観客側が自分のQuidamを想像する余白がすごくたくさんあります。どのように「Quidam」の世界を自分のものにするかで、その人ごとの「Quidam」ができあがるのです。

そのかわり、そういった想像力が乏しい人、見た目の派手さや華やかさを求める人には、もうひとつ楽しめきれないのかもしれません。実際、小さな子供などは途中で飽きてたみたいだし、あんなにすばらしいステージだったのに「どこがおもしろいの?」といったことをいいながら帰っていくお姉さんなどもいらっしゃいました。その意味では、ちょっと難しいのかも。

でもでも、ほんとにすばらしい。過去の日本公演のどれよりもすばらしい。最後のシーンではほんと、涙が出ました。やっぱCirque du Soleilって最高!

(2003.02.23)




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★オグオブ

銀座小劇場で「オグオブ」という劇団の芝居を見てきた。先週のカリバカに引き続き、今回もはじめて見る劇団。『花咲くや、君が。』というタイトルで、テーマは「大正浪漫演劇」らしい。

大正浪漫で銀座。見る前からなんとなく期待させるシチュエーション。1999年創立とまだ歴史の浅い劇団だけど、役者さんの年齢層はカリバカよりも高い感じ。観客も、若い衆から子連れのお母さんまで、けっこう幅広い。

戦後の没落成金の孫(しかもロシア皇帝の末裔!)が隠し持つ金塊を狙う怪盗ニャー(???)と社会主義者と大物政治家、社会主義者の友人と成金の孫をくっつけようとする人のいい当たり屋に帝劇女優に喫茶店の女給、そして怪盗ニャーを追っている正義の新聞記者(どうやらこの芝居は怪盗ニャー三部作の完結編らしい)。なんだか不思議な配役とストーリー。ところどころで出てくる狂言回しの役割の人は噺家みたいな口調だし。

はい。けっこうおもしろかったです。なんとなくくだらなくて、なんとなくほろっとしてて。ところどころではさまれるビミョーな笑いどころも楽しめたし。中心となる物語(ラブストーリーだね、けっきょく)がきちんとしてたのと、それぞれの配役のキャラがしっかり決まっていたので、舞台として破綻がなく、その点では安心です。

で・も・ね! 役者さんがみんな、芝居が下手すぎる! 怪盗ニャーと帝劇女優役のふたりの女優さんは、舞台経験がそれなりにあるんだろうと感じさせる芝居をしていて、存在感があるんだけど、その他がねぇ。とくにヤバイのは男優陣。みんな、もっともっと精進しようね。

役者さんがみんな、一夜城の役者さんくらいの演技力があれば、もっともっとおもしろい舞台だったろうにな。作品自体はなかなかいい感じ(少なくともカリバカよりは自分好み)だったので、もう何年か経って役者さん全体の演技力が上がったところでまた見てみたい劇団ではありました。

しかし、銀座小劇場の座席、もう少し座りごこちがよくはならないものだろうか。

(2003.02.10)




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★カリバカ

カリフォルニアバカンス(通称「カリバカ」)という劇団の芝居をはじめて見に行きました。演目は『Museum』。チケットプレゼントに当たったのさ。

これまで見てきた劇団は、一夜城にしてもTokyo FにしてもU-Fieldにしても、演劇キャリアの長い人たちの劇団で、なので出演者も観客も30代以上が大半と年齢層が比較的高めなのだけど、カリバカは4年程前に日大の学生さんがつくった劇団らしく、だから出演者も観客も年齢層が若い! 会場内で30越えてる人なんて、きっと自分ら夫婦くらいだぞ。

なかなかよくできた舞台でした。ストーリーも破たんがなかったし、さまざまな伏線もきちんと最後にはひとつにはまとまっていたし、役者さんもとくにひやひやするようなところはなかったし。

でもね、やっぱり「若い人たちがつくった、若い人たち向けの芝居」なのね。ストーリー展開のリズムやギャグの入れ方、その他もろもろが、若手お笑い芸人さんのコント劇みたいな感じで、うちらはもうひとつ乗り切れなかった。会場内では頻繁に笑いが起きるのだけど、そのほとんどが、自分らにはそれほどおもしろいと思えない。

もう少しストーリー展開に緩急をつけるとか、間をとった芝居をするとか、といったことを期待しちゃうのだけど、それは年齢層の高い人の要求。一定のリズムであまり間をとらないのが若者向けなんでしょう。

人にはそれぞれ、年齢層にあった楽しみがある、ということでした。

(2003.02.03)




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