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★映画『スクール・オブ・ロック(The School of Rock)』 (2004.05.17)
★映画『パッション(The Passion of the Christ)』 (2004.05.16)
★映画『テキサス・チェーンソー (The Texas Chainsaw Massacre)』 (2004.04.11)
★映画『ぼくは怖くない(Io non ho paura)』 (2004.04.04)
★映画『マスター・アンド・コマンダー(Master and Commander - The Far Side of the World)』 (2004.03.13)
★映画『ジョゼと虎と魚たち』 (2004.03.09)
★空想万年サーカス団 (2004.02.15)
★映画『悪霊喰(The Order)』 (2004.01.30)
★浅草新春歌舞伎 (2004.01.19)
★映画『“アイデンティティ”(IDENTITY)』 (2003.11.14)







★映画『スクール・オブ・ロック(The School of Rock)』

映画『スクール・オブ・ロック(The School of Rock)』を観てきました。

『The School of Rock』
監督:リチャード・リンクレイター(Richard Linklater)
出演:ジャック・ブラック(Jack Black)、ジョーン・キューザック(Joan Cusack)、ミランダ・コスグローヴ(Miranda Cosgrove)
2003年・アメリカ映画
110分

いやぁ、おっかしかったです。おもしろかったです。そんで少しじ〜んとしちゃいました。

ストーリー的にはね、超ご都合主義でぬる〜い話なんですよ。才能はないけどロックを心から愛してるダメ男デューイが、その「ロックへの暑苦しいまでの愛情」ゆえに自分でつくったバンドをくびになり、金がなくて友人のネッド(元のロック仲間。現在は「代用教員」というかたぎの商売)の家に転がり込んだはいいけど、ネッドの彼女は「ロックな心」のかけらもない超体制派。その彼女の入れ知恵(?)で「金が払えないなら出てってくれ」とネッドにいわれちゃったデューイが、ネッド宛にかかってきた私立小学校からの代用教員依頼の電話に出て、ネッドになりすまして学校で働き、金を得ようと考える。もぐりこんだ学校は超保守的な超一流学校で、子供たちは勉強ばかりで覇気がない。しかし音楽的な才能があることにデューイが気づき、子供らをしこんでロックバンドをつくってバンドバトルに出場し優勝してかつての仲間らを見返してやろうと考えるんだけど、そのために子供たちに「ロック」を教えているうちに、子供たちと一緒に「ロックする」ことにのめりこんでいき、子供たちも「ロックする」ことで生き生きと自分の可能性に気づいていく……てな感じでしょうか。

ね、くだらない話でしょ。一歩引いて冷静に観たら、ばかばかしくて観てられないと思うんですよ。でもね、スピーカーから粘っこいエレキ・ギターと大地を震わすバスドラム、力強いベースの音が響いてくるとね、そんなことは関係なくなっちゃう。

ロックの「ロ」の字も知らないままに、まじめにまじめに育てられた子供たちに「この曲知ってるか」ってはじめに聴かせるギターのイントロがBlack Sabbath(ブラック・サバス)の「Iron Man」で、いきなりのけぞっちゃいましたよ。なんでサバス? なぜアイアン・マン?? マニアックだ。次にDeep Purple(ディープ・パープル)の「Smoke on the Water」のリフを聴かせてたけど、順番が逆じゃないの? それともイギリスではパープルよりもサバスのほうがロックなんだろうか。ま、たしかにサバスのほうが「ロック」だとは思うんだけど。

「ロックとはなにか」を感じてもらうためにデューイが「宿題」として子供たちに渡すCDもたまらんです。ギター担当の子にはJimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)、ドラムの子にはRush(ラッシュ)の『2112』(Neil Peart(ニール・パート)は天才だ!とかいいながら)、キーボードの子にはYes(イエス)の『Fragile』(「Round About」をよく聞け!とかいいながら。そしてその子はRick Wakemanをすっごく小粒にしたようなクラシカルなキーボード・プレイをオルガン・サウンドで弾くようになるのだ!)、ソウルフルな歌声を持った黒人の女の子にはPink Floyd(ピンク・フロイド)の『Dark Side of the Moon』を渡して「The Great Gig in the Sky」を聴けっていうんだぜ。的確なようでいて、じつはかなりエキセントリックなセレクションだと思いません? 制作者はプログレッシヴ・ロックのファンなのか。

ほかにもT.Rex(ティ・レックス)やLed Zeppelin(レッド・ツェッペリン)、The Who(フー)、Kiss(キッス)、AC/DCとかががんがんかかって、どんどん自分がロックに熱中していた1970〜1980年代、エレキ・ギターを抱えてバンドでロックを演奏していた学生時代に連れ戻されちゃう。

クライマックスとなるバンド・バトルでの演奏シーンでは、デューイは小学生が着る半ズボンの学生服にギブソンのSGという、見る人が見れば明らかにAC/DCのAngus Young(アンガス・ヤング)なかっこうで登場。めっちゃ盛り上がっちゃいました。できればランドセルもしょってほしかった。ステージでお尻も見せてほしかった。

そして、客席へのダイブ。思わず拍手しちゃいましたよ。じわぁ〜ってきちゃいました。ほかにも何人か拍手してた。

ほんと、単純で、うそっぽくて、すごく予定調和な映画なんです。でもね、少なくとも自分は知ってるんです。けんかしたり共感したりしながら一緒に曲を演奏し、バンドの音をつくりあげる楽しさを。それをステージにかける興奮を。そしてステージが終わったあとの心地よい虚脱感を。それをまた味わいたいために、ひとつの曲に、自分たちのバンドに、一生懸命に打ち込む喜びを。そういった気持ちを思い出させてくれる映画でした。

最後のスタッフロールが終わり、劇場の照明がともる瞬間も、思わず拍手しちゃいました。ほかの席からも、ぱらぱらとではあったけど、拍手が起こりました。あのとき拍手した人たちって、きっとバンド経験者だぞ。

映画を観たのと同時に、まだロックが幸せだった古き良き時代のロック・コンサートをも観たような、そんな印象が残りました。席で座って観るだけでなく、演奏シーンでは立ち上がって踊りたかった。声をかけたかった。そして、もっともっと大きな音で聴きたかった。ロックって、やっぱりいいな。

(2004.05.17)




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★映画『パッション(The Passion of the Christ)』

映画『パッション(The Passion of the Christ)』を観てきました。

『The Passion of the Christ』
監督:メル・ギブソン(Mel Gibson)
出演:ジム・カヴィーゼル(Jim Caviezel)、モニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)、マヤ・モルゲンステルン(Maia Morgenstern)
2004年・アメリカ映画
127分

いやぁ、うわさに違わず「痛い」映画だった。執拗に続く拷問の描写が、かなり厳しいです。

映画は、イエスが十字架にかけられるまでの最後の12時間を克明に描いてるのだそうです。いきなり、山に登っての最後の祈りのシーン(「目を覚ましていろ」といわれたのに2回も眠りこけてしまうダメダメなペテロたちの場面)から始まって(それも2回目の居眠りから)、すぐにユダが兵隊連れてやってきちゃう。できれば最後の晩餐の席から観たかったなぁと思います。というか、いきなりこのシーンからじゃ、新約聖書終盤の知識がない人には、なんだか全然わからないでしょうね。

同様にエンディングも、十字架上で息絶えて、キリストの降架(ピエタ)のあといつの間にか墓の入り口が閉じられ、すぐに墓のなかで復活(そんなシーンは聖書にはなかったように思うんだけど)で終わってしまう。そのあとの、弟子たちの前に姿を現わすシーンとかがないので、これまた中途半端な感じ。弟子の前に姿を現わし、最後に光とともに昇天するシーンを観たかったし、それがないとやっぱり知識のない人にはわけわからん状態だろうな。

では、なんでここだけ抜き出して映画にしたんだろう。なぜあそこまで執拗にイエスを痛め付ける場面ばかりを映し続けたんだろう。

映画系の掲示板等では、痛め付けられるイエスおよびイエスを痛め続ける行為に注目が集まってる気がするのですが、自分はその行為を行なったり観ていたりしている人の心の動きに引かれました。

イエスを深く愛していたのに、イエスへの直接的な迫害・拷問の引き金を引いてしまったユダの心の動き(しかも、その行動は最初から、神から与えられた役割として予定されていたんですよね。なのに後世まで「裏切り者」扱いされてかわいそうなユダ。自分はちょっとユダびいきなんです)。

いちばんの弟子を自認していながら、イエスへの迫害をくいとめられなかったばかりか、イエスの予言どおり3回もイエスを裏切ってしまったペテロの心の動き(映画には描かれませんでしたが、ペテロはその後、イエスが復活したときに、イエスに3回「私を愛しているか?」と聞かれるんです。3回の裏切りには3度の償いを。泣かせるシーンです)。

イエスから多くの救いと愛を受けたのに、それを見ていることしかできなかったマグダラのマリアの心の動き。

人の子の母としてひどく心を痛めるのと同時に、神の子の母としてイエスの運命を受け入れようとするマリアの心の動き。

民衆の集団的な狂気に押し切られ、不本意ながらもイエスを磔刑にしてしまったピラトの心の動き。

司祭らの扇動のおかげで釈放されることになったバラバが一瞬、イエスに対して見せる改悛に似た表情からうかがえる心の動き。

イエスに肉体的苦痛を与える「仕事」をしているうちに、いつのまにか我を忘れて「苦痛を与える行為」にのめりこんでいってしまうローマ兵たちの心の動き。

イエスとともに十字架をゴルゴタまで運んだ男の心の動き。

痛めつけられるイエスを見て、痛めつけるローマ兵に同化していく民衆と、逆に悲しみや不安、後悔を感じていく民衆たちの心の動き。

そういった揺れ動く人々の心が、わずかな表情の変化などからうかがえます。そして、その揺れ動きに呼応するかのように、現われては消えるサタンが暗示する、人間の心に生まれる意識的な、あるいは無意識的な悪意。

人物についての描写が少なくてわけわからんという意見も多いのだけど、自分はそうは思いません。たしかに「背景」に関する描写は少ないけど、それは「聖書の物語を知っている」ことが前提になっているからで、その部分は、この映画を見るうえで観客に課されている義務でしょう。というか、もとからキリスト教国の観客に見せることを考えてつくられているので、当然でしょう。その前提のもとで、この映画で切り出された「最後の12時間」にかかわる人々の、その12時間のなかでの人物描写は、とてもよく描かれていると思います。

聖書の知識があることが前提になっていること、主人公がイエス・キリストであることから、どうしても宗教映画ととらえられてしまうのはしかたがないのだけど(ネット上でも宗教対決みたいになってるところがたくさんありますね)、じつはこの映画の主役はイエスではなく、イエスを取り巻く人なのではないでしょうか。イエスの受難を見るのではなく、受難を与えている人を見る映画なのではないでしょうか。

そう考えると、これは人間が普遍的に持つ悪意と善意を描いたもので、聖書はそのための「舞台」にすぎず、宗教やキリスト教自体は、じつはあまり関係ない気がします。なまじっか「聖書」「イエス」というキャラの強いキーワードが前面に立っているため、見るべきポイントがずれてしまってはいないでしょうか。であれば、新約聖書のなかで大きな意味を持つと思われる「イエスの復活」があれほど簡単にしか描かれず、その後に続く昇天は無視されていることが、なんとなく納得できる気がするんです。

キリスト教的考え方を描き出すことより、いまも世界中で起きている、無益で未来のない、非人道的で悪意に満ちた残虐な戦いや諍いが、キリストのいた時代からなくならずにいることを観客に見せつけ、それに対してどう感じるか、ひとりの人間としてなにができるか、なにをすべきかを、問いかけているのかな。そんなふうに感じた映画でした。

(2004.05.16)




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★映画『テキサス・チェーンソー (The Texas Chainsaw Massacre)』

映画『テキサス・チェーンソー (The Texas Chainsaw Massacre)』を観てきました。

『The Texas Chainsaw Massacre』
監督:マーカス・ニスペル(Marcus Nispel)
出演:ジェシカ・ビール(Jessica Biel)、アンドリュー・ブリニアースキー(Andrew Bryniarski)、R・リー・アーメイ(R. Lee Ermey)
2003年・アメリカ映画
97分

「怖い」「痛い」「途中で席を立ちたくなった」など、ホラー・ヴァイオレンス映画としては最大限の賛辞(?)があちこちで送られてるんですが……。

たしかに痛かったです。肉きり包丁で腕を切り落としたり、精肉用フックに兄ちゃんを引っ掛けたり、思わず「うっ」ってなるようなシーンは、たしかに多かった。始まってけっこうすぐに脳みそ吹っ飛んでるし。

でもなぁ、やっぱり「びっくり系」の怖さがメインなんだよなぁ。なんていうか、もっと「見えない怖さ」みたいなものが自分は好きなわけで、突然目の前に現われたり大きな音を出したりしてびっくりさせるのは、びっくりはするけど怖いとは思わないのよ。

もちろん、実話がモデルになってる映画ということで、こんな事件を起こした人たちが実際にいたという点での「怖さ」はある。でも、それはそれ。これは「映画」だから、やはり「映画」という世界での怖さを期待したい。

異常犯罪家族であるヒューイット家の面々に、あまり異常さが感じられなかったのが、この映画があまり怖くならなかったいちばんの原因だろうな。保安官役の人は充分にキチガイっぽさを出してたけど、ほかの人たちに異常さ、怪しさが足りない。それにレザーフェイス、動きがすばやすぎ(笑)。やっぱ、もっとのっそりと、だけどいつまでもしつこく追いかけてくるってなってないと。動きののろいやつなのに、どうしても逃げられないっていうのがあると、すご〜く精神的にやられるんだよなぁ。

などといった点でちょっと残念には思うのだけど、途中に「笑い」の入らない純然たるホラー・ヴァイオレンス映画はひさしぶり。怖い映画に「笑い」はいらない。笑いを廃し怖さのみを追求したという点では、とても好ましい映画でした。

(2004.04.11)




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★映画『ぼくは怖くない(Io non ho paura)』

映画『ぼくは怖くない(Io non ho paura)』を観てきた。

『Io non ho paura』
監督:ガブリエレ・サルヴァトレス(Gabriele Salvatores)
出演:ジョゼッペ・クリスティアーノ(Giuseppe Cristiano)、マッチア・ディ・ピエッロ(Mattia Di Pierro)、アイタナ・サンチェス=ギヨン(Aitana Sanchez-Gijon)
2003年・イタリア映画
109分

舞台は南イタリアのどこかなのかな。すごーく貧しそうな、小さな村。時代はいつなんだろ? 物売りに来るトラックのラジオからIvan Graziani(イヴァン・グラツィアーニ)の「Lugano addio」が流れてたってことは、1970年代の終わりなんだろうか。それとも、懐メロとして流れてたのかな。

貧しい村に住む貧しい少年が主人公。少年の父をはじめとした村の大人たちがみんなでグルになり、ミラノの富豪の息子を誘拐して身代金を取ろうとしてる。それと知らずに地下の穴に監禁中の富豪の息子を見つけ、友達になってしまった少年。それを大人たちに告げ口した少年の友達と、息子が知ってしまったことを知って苦しむ父親。それぞれの登場人物がきちんと意味と役割を持っていて、よくできた映画になっていると思う。

絶望していた富豪の息子が、声をかけてくれた少年に「君は守護天使?」と問いかけるのだけど、なにげで少年の名前はミケーレだったりする。ミケーレって、大天使ミカエルのイタリア語読みだよね。 ちなみに誘拐されてたのはフィリッポという名前の金髪の男の子で、フィリッポってのはイエスの12使徒の一人ピリポのイタリア語読みだったりする。つまり、このシーンは、イエスの弟子のピリポが、目の前に現われた天使ミカエルに向かって「君は天使か?」って聞いてる図だったりするんですね。そして、フィリッポとミケーレの間に強い友情が生まれ、フィリッポのおかげで父とミケーレはさらに深い愛情で結ばれる。さすが愛を説いて歩いたイエスの弟子。しかもそこには大天使がついてるってわけです。

それと、ミケーレが穴の中の富豪の息子と会ってることを大人たちに告げ口したのは、ミケーレの友達のサルヴァトーレ。告げ口するなんて友達じゃない!と思ってしまいそうだけど、そこからミケーレのことを心から愛している父の迷い(良心)が表に大きく出始め、最終的にすべてが「救済」へと向かう。だから彼の名前はサルヴァトーレ(救済者)なのかな。

ついでにいえばミケーレの母の名前はアンナで、聖母マリアの母と同じ名前。大人たちの犯罪の一部に属していながらも、最後まで天使(ミケーレ)を愛し、他の大人たちから守ろうとする愛情深い母を演じている。さすが聖アンナ。

誘拐事件自体については、じつはあまり触れられていないので、なんで突然あんなにピンポイントで憲兵が現われたのかとか、腑に落ちない感じはあるんだけど、べつにそこがテーマじゃないからね。ミケーレの成長、ミケーレとフィリッポの友情、ミケーレと父親の愛情、父親の改心といったものがテーマなはず。それらが暖かくやさしい視線で描かれていて、じんわりとくる映画だった。

(2004.04.04)




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★映画『マスター・アンド・コマンダー(Master and Commander - The Far Side of the World)』

映画『マスター・アンド・コマンダー(Master and Commander - The Far Side of the World)』を観た。

『Master and Commander - The Far Side of the World』
監督:ピーター・ウィアー(Peter Weir)
出演:ラッセル・クロウ(Russell Crowe)、ポール・ベタニー(Paul Bettany)、ビリー・ボイド(Billy Boyd)
2003年・アメリカ映画
139分

う〜ん、でけっきょく、この映画の主題はなに?

海戦のシーンは迫力があった。海戦は好きなので、その点では満足といえば満足。でも、あんなにたくさん人が死んで、大量の流血シーンがあるのに、その「死」と「血」の持つ意味や重さがよくわからない。

アメリカとイギリスが戦っていて、イギリス捕鯨船を拿捕する最新鋭のフランス軍艦に旧式のイギリス軍艦が立ち向かって行くってのが目に見える部分のストーリーだけど、すべての戦いと死の意味が「戦争してるから」で簡単にすませられてる気がしちゃうんだよな。いや、実際にそうなんだろうけど、それでも「国のため」以外のなにか、軍艦の乗務員として戦う「自分なりの意味」というものが感じられれば、もう少し映画の世界のなかに入っていけたのかもしれない。

主人公であるイギリス艦の船長がすごい人だということはわかるし、博物学者で船医である船長の親友もすごい人だってこともわかる。なら、このふたりの間のドラマをもっと描いてもよかったかもしれない。

それに、片腕をなくした少年や、戦死した少年、そして自殺した青年といった士官候補生たちの描き方も、ちょっと中途半端だよな。

けっきょく、戦いのシーン以外の、登場人物たちに対する掘り下げや厚みがあまりないのが、個人的にうまく楽しめなかった理由なんだろう。

同じ大量の死と血の持つ重さでは『ギャング・オブ・ニューヨーク』に勝てず、人物は薄いなりに海戦ものとして立派にエンタテインメントとなっていた『パイレーツ・オビ・カリビアン』にも少し届かない、微妙な出来になってしまっていたように思う。

(2004.03.13)




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★映画『ジョゼと虎と魚たち』

映画『ジョゼと虎と魚たち』を観てきた。

『ジョゼと虎と魚たち』
監督:犬童一心
出演:妻夫木聡、池脇千鶴、上野樹里
2003年・日本映画
116分

う〜ん、よくわからん。誰に感情移入するのがいいのか、どこに焦点を当てて観るのがいいのか、うまくつかめなかった。

かといってつまらない映画というわけではない。両足の不自由な、いわゆる身体障害者と、いわゆる健常者の恋愛と破局を描いた映画だけど、その描き方が淡々としていて、わざとらしい愛だの善意などといったものが出てこないところが好ましい。現実の残酷さも、そこに責める感じや同情する感じもなく、ただ「そこにあるもの」として表現されているのがいい。

ところどころに笑いを取るためだけに挿入されたシーンがあり、それも映画の雰囲気をほのぼのとなごやかにするのに成功していた。

どこがどう「いい」とも「悪い」ともいいにくいのだけど、観たあとに穏やかな気持ちが残る。若い人が、若いうちに観るほうが、より素直に受け止められそうな、そんな話だった。

主演の妻夫木聡、池脇千鶴のどちらも、過剰にならない演技で、この映画の持つ話自体はヘヴィなんだけどなぜかすがすがしくさわやかにすら感じる穏やかさをうまく表現していたと思う。

(2004.03.09)




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★空想万年サーカス団

空想万年サーカス団……なんか、いろいろなことを想像させるタイトルだと思いませんか? このタイトルに引かれて、見に行ってきたんですよ、新橋演舞場へ。それに、出演が中村勘九郎に藤山直美、柄本明ですよ。なかなか豪華な顔合わせの舞台じゃありませんか。だから、けっこう楽しみにしてたんです。でも……。

いやぁ、つまんなかった。柄本さんの芝居はすごく強烈で見ごたえがあったけど、それ以外はなぁ。

なにがダメって、ストーリーがダメ。ていうか、これといったストーリーがない。いったいあの芝居でなにを伝えたかったのか、ぜんぜんわかんない。藤山直美のコミカルな動きと顔芸で笑いをとる以外に、なにがしたかったんだろう?

途中で30分ほどの休憩を2回はさんで、トータルで3時間半。盛り上がりのない、思いつきのようなストーリー展開。浅くて薄い人物関係。ほんと、無駄な時間をすごしたと思った。勘九郎さんも柄本さんも、あの舞台で納得してるんだろうか? とはいえ、見に来ていたおばちゃんの多くは爆笑してたから、あれはあれでいいのか。あの程度の芝居でいいのか? 演舞場にいらっしゃるおばさまたちよ。

もう、おそらく自分は新橋演舞場に芝居を見に行くことはないだろう。あんな内容の芝居で1階席1万円近くとるなんて信じられん。あの程度の芝居を喜んでみる観客にはなれんな。

(2004.02.15)




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★映画『悪霊喰(The Order)』

映画『悪霊喰(The Order)』を見てきた。

『THE ORDER』
監督:ブライアン・ヘルゲランド(Brian Helgeland)
出演:ヒース・レジャー(Heath Ledger)、シャニン・ソサモン(Shannyn Sossamon)、ベノ・ファーマン(Benno Furmann)
2003・アメリカ映画
103分

いやぁ、ひさしぶりにすっごくつまらないオカルト・ホラーを見ましたよって感じ。

おそらくキリスト教カトリックの世界では、人は死ぬ前に神父を呼び、罪を告白して神の許しを得てから息を引き取る(「終油の秘跡」というらしい)というのがとても重要なことなのだろう。しかし、自殺などといった「教会が許していない」かたちで死を迎える人には、神父は罪の告白を聴いて許しを与えることができない(以上、調べたわけではなく、この映画を見ていてそう思っただけ)。そこで、死に行く人の罪を食らい、神に代わって許しを与える者=罪食い(Sin Eater)という存在が、異端信仰のなかで生まれ、それがいまも実在している……というようなところから始まる物語なのだけど、ぜんぜん世界観ができてないな。

神と異端、カトリック教会と神秘の儀式、舞台はローマと、お膳立てはそろってるのに、重みも深みも感じられない薄っぺらなストーリーと、だらだらとして盛り上がらない脚本。そんなに長い映画じゃなかったけど、半分くらい見たところで飽きてしまった。終わり方もB級。時間の無駄をしたな。

(2004.01.30)




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★浅草新春歌舞伎

浅草で新春歌舞伎(第2部)を見てきた。獅童、勘太郎、七之助といった若手中心で演じられる舞台。若手だらけで大丈夫かよという感じはあったのだけど、いやぁ、おもしろかったですよ。ベテランじゃないからこその軽やかさ、軽さ、現代劇ふうなテイストなどがあって、とてもわかりやすくさわやか。

獅童さんは、歌舞伎座でベテランに囲まれて舞台に立ってたときは、存在感はないは、型の決まりは微妙だわで、やっぱテレビとか映画とかにうつつを抜かしてるようじゃだめなのねぇ〜とか思ってたんだけど、ここ浅草の舞台では堂々の芝居。熱演しているけど、リラックスして楽しんでいる雰囲気もうかがえて、なかなかやるじゃんと思いましたわさ。配役の中心となるのは若手がやって、脇の渋いところはベテランが占めるというバランスがいいんだろうな。「毛抜き」なんて、くっだらない話なんだけど、そのくだらなさが庶民的で面白いわね。獅童さん、熱演でした。

そこいくと、今回は七之助さんが弱かったかなぁ。歌舞伎座で舞い物を見たときは「うまいじゃん!」と思ったけど……。出し物とのマッチングのせいかな。そもそも、あんまり活躍しない配役だったし。しかし「吉野山」の静御前の舞が、えらい固いのよね、女形なのに。狐役の男女蔵さんが軽やかでしなやかな舞を見せてくれた分、七之助さんのぎこちなさが一層目立ってしまった感じがする。およそ1時間の舞い物を飽きさせずに見せるには、まだまだ精進が必要ですね。がんばれ七之助。

男女蔵さんといえば、「三人吉三」の和尚吉三役はいまいちだったなぁ。勘太郎さんのお嬢吉三、獅童さんのお坊吉三が、現代風な香りをそこはかとなく漂わせながらも歌舞伎らしさをきちんと出していたのに、勘太郎さんの台詞回しは完全に現代劇。いやいや、歌舞伎にそういうのは求めてないから、って感じでした。「毛抜き」「吉野山」での芝居のほうがぜんぜんよいですわ。

んでもトータルとしては、とっても楽しかったのでした。ベテランによる歌舞伎座の舞台より「庶民の楽しみ」的な雰囲気が強く出てたし。浅草公会堂っていうハコもなかなかいいな。国立劇場よりぜんぜんいいぞ。

浅草で歌舞伎を見たあとは、地元に戻って鮨と刺身、串焼きで一杯。楽しい1日でした。

(2004.01.19)




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★映画『“アイデンティティ”(IDENTITY)』

映画『“アイデンティティ”』を見てきました。

『IDENTITY』
監督:ジェームズ・マンゴールド(James Mangold)
出演:ジョン・キューザック(John Cusack)、レイ・リオッタ(Ray Liotta)、レベッカ・デモーネイ(Rebecca De Mornay)
2003年・アメリカ映画
90分

映画の冒頭で心理療法をしているところが映るので、最初はキチガイ系猟奇殺人サスペンスかと思って見てたんですが、途中でこれはもしやオカルト・ホラー? てなって、このあたりから謎解き的な楽しみはできなくなっちゃいました。

最終的にはサイコ・スリラーで終わったといった感じですが、終盤に差しかかって、いわゆる多重人格ものなんだということをはっきり表明したあたりから、話の密度がぐっと落ちる。それまではそれなりに引き込まれるものが合ったんだけど、映画を覆っていた「大きな謎解き」をしたあとの魅力のなさがとても残念。この時点で結末がなんとなく予測できちゃいます。

突然死体が消えるというフリが、えらく唐突に感じられたのだけど、この結末につなげるためのご都合主義だったのね。あそこはもっと別の展開のしかたがなかったんでしょうか。明らかにあの2人だけ死体がまったく映らないというのは不自然だもんなぁ。

全体的に悪くない話だとは思うんだけど、話の密度配分というか、盛り上げるための構成の部分で失敗しちゃったかなという印象でした。

(2003.11.14)




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Pensiero! 別館 I

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