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★たまには江戸っ子風? (2005.01.11)
★映画『白い犬とワルツを』 (2004.12.13)
★芝居『マダラ姫』JIS企画 (2004.12.06)
★ミュージカル『オペラ座の怪人』ケン・ヒル版 (2004.11.22)
★芝居『お母さんの選択』離風霊船 (2004.11.04)
★映画『バイオハザードII アポカリプス (RESIDENT EVIL: APOCALYPSE)』 (2004.10.04)
★芝居『好きよキャプテン』Theatre劇団子 (2004.09.24)
★映画『テイキング・ライブス (TAKING LIVES)』 (2004.09.23)
★映画『ヴィレッジ (THE VILLAGE)』 (2004.09.17)
★映画『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち (LES RIVIERES POURPRES 2: LES ANGES DE L'APOCALYPSE)』 (2004.09.13)







★たまには江戸っ子風? (2005.01.11)

自分は生まれがヨーロッパ、というかイタリアの高貴な家系なものだから(うそうそ)、ふだんの生活もとてもヨーロッパ風。とくに食生活はほとんど日本人じゃありません。醤油やだし用昆布・かつおが家にないことは多々あれど、オリーブオイルやワインのストックがないことはありません。何か月もご飯を炊かない・米を食べないことはあるけれど、パンやパスタを食べない日が1週間と続いたことはありません。

そんな自分ですが、この連休は少しだけ江戸っ子風。というか日本人風。

まずは土曜日。前日の夜に放送された「スチュワーデス刑事」をビデオにとっておいた(うちの妻が好きなんです。ほとんどお正月の風物詩状態)ものを見て、だらだらとすごす。「スチュワーデス刑事」ってところがすごく日本人っぽい(気がする)。

日曜日。立川にお出かけ。お昼はついついピッツァとパスタと白ワインのランチを取ってしまいましたが、その後は立川新春落語会。志の輔さん、志の吉さん、志の春くんの落語に二楽さんの紙きり。

志の輔さんはあいかわらずうまいのだけど、立川新春落語会はお客さんがそれほどコアな落語ファン・志の輔ファンというわけではないからか、独演会にくらべるとわかりやすいお話をわかりやすいアレンジで披露している感じがしますね。お客さんへの声のかけ方なんかも。

びっくりしたのは志の吉さん。上手になったなぁ。ずっと志の輔さんの前座で新宿の高座に上がってたときは、滑舌は悪いし振り分けも微妙だし、聴いててはらはらする、ある意味手に汗握る緊張感にあふれた(笑)落語をしていたのに、いまでは流れるように話し、上手に振り分けもし、安心して聴いていられる。最後に志の吉さんの落語を聴いたのは、たしか真打になる直前くらい。もう2年近く前になるんだろうか。成長するんだねぇ、成長したんだねぇ、よく精進したねぇ。

生で紙きりを見るのもひさしぶり。二楽さんっていうのははじめて。正楽さんの弟子らしい、ていうか、紙きりは正楽さんとこの系図しかないのか? 師匠は座って紙を切っていたけど、やはり若い人は違うね。立ったまま切って、できあがった作品はプロジェクターでスクリーンに映写。でもやってること、きりながらつぶやいて(笑)いることは、師匠とたいして変わらない。こういうのっていいな。受け継ぐべきものは受け継ぎ、変えるところは変える。こうやって伝統芸能は生き続けていくのだわ。

落語会のあと、立川の駅ビルを少しぶらぶらしてたら偶然、友人と買い物に来ていた妹と遭遇。おたがい、このあたりに住んでるんじゃないのに。びっくり。おひさしぶりです。

夜は地元の寿司と串焼きがメインの居酒屋へ。昼間は落語を聴いて、夜は寿司をつまみながらいっぱい。江戸っ子だねぇ。

そして昨日。お昼は浅草でうなぎ。自分はお重、妻はひつまぶし。ひつまぶしってテレビでしか見たことなかったけど、おいしいねぇ。最後のお茶漬けがたまらん。そしてそのまま新春浅草歌舞伎を観に。

毎年、若手の役者が中心となって行なわれている新春歌舞伎。今回のみっけものは愛之助さんでしたわ。主に上方(大阪)で活動しているらしく、自分は名前をはじめて聞いたのだけど、貫禄のある侍役も、若くてちょっと頼りなげな色男の役も上手にこなす。獅童さん、ちょっと食われてたよな。あと、お年玉口上はぼろぼろで「おいおい、だいじょうぶかい?」と心配した門之助さんも、最後の演目では魅力的な「やり手ばばぁ」を演じてて、ちょっと印象に残った。今後、このふたりの名前を見かけたら、観にいってしまうかもしれないなぁ。

そして、七之助さん。舞い物50分(演目は「鏡獅子」)は長いよ。自分は舞い物が苦手。途中で何度も睡魔が。でも、獅子の精となった七之助さんの舞いは美しゅうございました。女形でのしなやかな舞いも上手だけど、飛んだりはねたり回したりの激しい舞いも決めるときはピシッと決めて、凛とした空気を生み出す。すごいなぁ。

と、自分にしてはめずらしく日本人な3連休を過ごしたのでした。でも夜は、やっぱりパン食べてパプリカのマリネをつまみにワイン飲んじゃった。日本人風でいられるのは3日が限界なのかも(笑)。

(2005.01.11)




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★映画『白い犬とワルツを』

映画『白い犬とワルツを』を観てきました。

『白い犬とワルツを』
監督:月野木隆
出演:仲代達矢、藤村志保、南果歩
2002年・日本映画
99分

これの原作本日本語翻訳を文庫で読んだのは、ずいぶん前のこと。まだ日本で話題になる前で、たまたま近所の小さな書店でタイトルに引かれて手にしたのがはじめだった。これとか、デヴィッド・リンチの『ストレイト・ストーリー』とか、じいさんがなんらかの目的を持って遠出するロード・ムービーふうの話って、自分は好きなのだわ。

などと思っているうちに、いつのまにやらどこかからの口コミがきっかけになって文庫本はベストセラー、アメリカだかイギリスだかで制作された(おそらくテレビ用)映画もNHK(だったか?)で放映され、これまたいい出来。そのブームに目をつけたのか、日本でも映画化されたわけでして、その日本版の映画『白い犬とワルツを』を観たのです。

ひどい。

もう、なんだか全然別の話です。奥さんが死んで、そのあとに不思議な白い犬が現われるっていう枠組みだけ使って、まったく違う話をつくっちゃったなぁという感じ。これに『白い犬とワルツを』というタイトルを載せちゃいけませんよ。

不思議な白い犬とじいさんがダンスを踊るシーンだって、あんなじゃない。しんどいじいさんは、足が悪くてふつうに歩くのはしんどい。だけど頑固だから、歩行器なんか使わん! と、せっかくある歩行器に目もくれない。だけどある日、娘夫婦らが心配するから(だったか、それとも歩行器なしではほんとに歩けなくなったからだったか、忘れた)としかたなく使った歩行器に犬が手をかけて、それがまるで一緒に手を取り合ってダンスを踊っているみたいに感じ、なんだか楽しくなって、それ以後、歩行器を使い始める=頑なな心が解けていく、というようなことだったはず。ま、日本では「歩行器」になじみがなく、形やら用途やらがぴんとこないから違う方法で表現、と考えたのかもしれないけど、それにしても、ねぇ。

あ、ちなみにこの話、原題は『To Dance with a White Dog』だったと思います。「白い犬とダンスをするために」っていう意味ですね。これを単純に「ダンス」ではなく「ワルツ」と言い換えた翻訳者さんのセンスのよさ、作品への愛情を、この日本映画はまったく無視してしまった気がします。

だいたいね、もともとの話はとってもさわやかなんですよ。だからこそ、感動的なんです。なのに、なんですか、この映画。重い。べたべたしてる。日本という風土に置き換えると、こんなふうになっちゃうんですか。なんで在日朝鮮人を登場させる意味があるんですか? どうして在日朝鮮人に対する日本人の嫌がらせを映画内に取り込む必要があるんですか? この話がもともと持つものとはまったく関係ないじゃん。原作には神経質な黒人のメイド(乳母?)が出てきて、この人が「あの犬は幽霊だ」とか、その他もろもろで娘たちを心配させたり起こらせたりするんですが、たしかに日本でメイドとか乳母とかいわれても困るし、舞台当時のアメリカにおける黒人の地位といったものを日本人に感じさせるのも難しいかもしれませんが、だからって、在日朝鮮人の方たちとは、ずいぶん違うんじゃないの?

長年一緒に暮らしてきた妻の死、そして、徐々に近づく自分の死という、テーマとしては重いものを扱いつつも、そこに愛があり、ある種の希望があり、感謝があり、さわやかな感動があった原作のよさが、ことごとくつぶされてしまったように思います。なにも、無理して日本を舞台に映画化する必要はなかったのに。

最後、死んだじいさんの墓の、かぶせられたばかりのやわらかい土の上に、犬の足跡がぽこぽこぽこって残っているのを子供たちが見つけるシーンで湧き上がる、えもいわれぬ暖かい感情を返してくれ!

この映画を観て「話題になったわりにはたいした話じゃないな、暗くてキライ」と思ったあなた! 原作はぜんぜん違いますから。ぜひぜひ文庫本を読んでね。

(2004.12.13)




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★芝居『マダラ姫』JIS企画


俳優・佐野史郎、脚本家・竹内銃一郎を中心とした演劇ユニット・JIS企画の新作舞台『マダラ姫』を観てきましたよ。JIS企画についてはぜんぜん知らないのだけど、なんといっても主演が佐野史郎さんに小日向文世さんですよ。いかにも濃ゆそう、おもしろそうじゃないですか。ヒロイン役が加藤紀子さんっていうのは多分に心配がありますが。

芝居って、広告宣伝チラシをつくる段階では脚本がほとんど(?)できていないケースが多いためか、チラシに書いてある物語紹介と実際の舞台で上演される話とが違うケースが多くあります。だからか、物語紹介が一切書かれていない、芝居のタイトルとキャスティングしか書かれてないチラシもたくさんあります。とくに小劇団の場合ね。そのへんが、新しいファンを外の世界から連れてきにくい理由だろうな。どんな話、なんの話が舞台上で行なわれるのかわからないままにお金を払わなければいけないのだから。こうなると、事前の判断材料としては、役者で観るか、あるいは脚本家で観るかしかないわけで。

それは置いといて、『マダラ姫』。この芝居も、チラシの内容と実際の舞台がちょっと違いました。身元不明の死体なんて出てこないよ。とはいえ、おおよその舞台設定や登場人物などはチラシどおりなので、チラシと実際の内容の違いに「なんじゃこりゃ?」となるようなことはありませんが。

ただ、物語自体は、う〜ん、困ってしまうなぁ。上演直前まで脚本ができあがらない演劇界、という現実の姿を舞台上に当てはめたのはいいにしても、それにしてもいろいろ腑に落ちない。最後まで謎が謎呼ぶ構成・展開・エンディングというのはいいにしても、あまりにも真実が見えない。考えられる真実はいくつかあるのだけど、どの真実をとっても、それで通すにはどこかに無理やつじつまの合わないところが残ってしまう。夢か幻想か錯乱を理由にするしか納得がいかない。一卵性双生児、男として育てられた女、その他もろもろがみんな「都合のいい展開」のために用意されたようにしか感じられない。物語としてけっきょく収束がつかないまま、曖昧な謎の中にすべて投げ込んで芝居を終わらせてしまったような印象でした。

困っちゃったなぁ。

演技自体はね、よかったですよ。佐野史郎さんも小日向文世さんも、やはりさすがです。あっちこっちで噛んでたけど。小日向さんのあの動きは「満腹太(まんぷく・ふとる。こんな字だったっけ?)」でしょうか。劇中のセリフにもありましたが、動きすぎです(笑)。そのほかの脇を固める役者さん、女優役の女優さんとか、刑事役の男優さんとかもね、舞台キャリアがあるなって感じでよかったです。

問題は、ヒロインであり、登場時間の長い加藤紀子さんです。加藤さんだけ、明らかに発声からして「舞台の人」じゃない。動きも、台詞回しも、ライヴの舞台で表現するには、あまりにも弱いし、こじんまりしてる。やっぱりテレビの人なんだよなぁ。それに加藤さん、あなた、笑っちゃいけないシーンで笑いをかみ殺してたでしょ! 小日向さんや佐野さんの変な動きや濃ゆ〜い演技を観て、観客と一緒に笑いそうになってたでしょ!! とくに芝居の前半で。その後に続く自分のセリフのときにはシリアスな顔に戻ってたけど、その前の一生懸命笑いをかみ殺しているところ、見逃しませんでしたよ。

そこは笑っちゃいかんだろうが。あなたの役はけっこうミステリアスなんだから、あのいかにも「いまにも吹き出しそうです」な顔はまずいと思います。もっと精進してくださいね。けっこう背が高いし、顔立ちもきれいで舞台で映えるんだから、ちゃんと「舞台での演技」を身につけてくれれば、と思いますわ。

今年の観劇はこれが見納めで、ちょっと期待していたのだけど、なんとなくもやもやが残ってしまいました。

(2004.12.06)




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★ミュージカル『オペラ座の怪人』ケン・ヒル版


今年から来年にかけて、日本はちょっとした『オペラ座の怪人』ブーム? 劇団四季による再演、映画版の公開に先駆けて、ケン・ヒル版のミュージカルが上演されています。

てことで、観にいってきましたよ、新宿厚生年金会館。2階のいちばんうしろの席だったけど、この会場は2階席でもステージがよく見えるし、キャパ的にも手ごろなんで好きです。

『オペラ座の怪人』は、原作本は何回か読んでますし、ずいぶんむかしにNHKで放送されたイギリスBBC制作によるテレビドラマ(約3時間)の出来が非常によくて、これをビデオにとったものも何回か見てます。けっこう哀しいお話ですよね。あ、変化球ヴァージョンであるブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』も観てますよ。

でも、ミュージカル・ヴァージョンは観るのがはじめて。ケン・ヒル版というのが劇団四季がやってるの(アンドリュー・ロイド・ウェーバー版とかいうらしい)とどこがどう違うのかわからんのだけど、劇団四季の『キャッツ』でめちゃめちゃがっかりした記憶のある自分としては、四季のよりはいいんじゃないかと思って出かけたわけですわ。

結果……がっかり。オペラ座を舞台にしたミュージカルなのに、オペラ上演中にさまざまな事件が起きるのに、「音楽の天使(=ファントム)」とクリスティーヌは「歌」を通じておたがいの心の奥深くに触れ合うのに、肝心の「歌」がすっごく少ないんですけど。ふつうにしゃべってるシーンがとても多い。もっと「音楽シーンでの高揚」を期待してたんだけどなぁ。

そして、なによりもつらかったのが、ファントムの声質と歌唱力。だってファントムは「音楽の天使」でしょ。彼の「天使の歌声」と「高い音楽的才能・資質」にクリスティーヌはひかれたのでしょ。なのに、なんでファントムの声があんななの? オペラ座でしょ。オペラでしょ。でもファントムの声はどう聞いてもポップ・シンガーにしか聞こえない。ちょっとひび割れ気味で、天使の歌声とは程遠い。少しむかしの歌唱力があるイタリアのポップ歌手みたい。歌がうまいとかへたとかとはべつに、「ファントム」の歌声としてはありえないと思うんだけど。

また、音楽はステージ前のオーケストラ・ピットでほぼ生演奏(だと思われる)なのだけど、オーケストラがいるわけじゃない。指揮者と、管楽器がひとりかふたり、コントラバス(かな?)がひとり、それにドラムスとキーボード。暗くてよく見えなかったけど、これくらいのこじんまりしたもの。正直いって、しょぼいです。とくにキーボードの音づくりがあまりうまくなく、重厚感も広がりも奥行もぜんぜんない。安っぽい。こんなんだったら、生演奏じゃなくテープでいいから、フル・オーケストラで録音したものを使ってほしかった。あのキーボードはひどいな。

登場人物は全部で10人くらい。いかにも張りぼてっぽいセット。舞台でかかる「ミュージカル・プレイ」というより、むかしのヨーロッパのキャバレー(ムーラン・ルージュみたいなやつ)で行なわれる「ショー・タイム」みたいな印象。音も舞台も、全体にこじんまりしてる。ストーリー(というか、登場人物の背景?)も、原作とちょっと違うような(本をまた読み直してみよう)。なんだか微妙で笑いづらいコメディ要素も世界観を壊しているだけのような感じ。

う〜ん、まいっちゃったなぁ。素直に人気のある劇団四季版を見にいくべきだったかなぁ。これで『キャッツ』に続き、劇場で観るミュージカル2連敗って感じ。ミュージカルへの偏見を取り除けるかと思って観にきたんだけどなぁ。来年3月にはミュージカル『十戒』を観にいくのだけど、今度こそ「感動」させてほしいぞ。

(2004.11.22)




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★芝居『お母さんの選択』離風霊船

離風霊船の舞台を観るのは3回目なのだけど、なんだか観るごとにおもしろくなくなっていっているような。去年、下北沢のザ・スズナリではじめて観た彼らの舞台『ニューパラダイスタウン』がなかなかおもしろくて、以後、都合がつけば観ようと思ってたのだけど、この前観た『渚家にて』でちょっとあれぇってなって、今回の『お母さんの選択』であれあれぇ〜となってしまいました。この劇団って、作・演出が大橋泰彦さんのときと伊東由美子さんのときがあって、今回は伊東さんの作品なんだけど、伊東さんの作風が自分には合わないのかなぁ(前に観た2作はどちらも大橋さん作)。

なんだかね、登場人物のどれもキャラが立ってない。河童ってなによ、河童って。現代と『羅生門』を同じ舞台で同時に芝居としてかける意味があったの? 文芸風な味わいをねらったのかもしらんけど、成功してるようには思えない。笑いを取るシーンも中途半端ですべってるし。お父さん役の人だけ声でかすぎ。離風霊船お得意(らしい)の最後の舞台装置転換もどんくさくてほとんど意味なし。べつにあそこでセットを沈めなくても充分に芝居で表現できたはずのところを、「最後には舞台装置転換しなきゃ」っていう義務だけでセットを動かしてみましたって印象。

残念ながら、登場人物の誰にも感情移入できなかったし(それぞれの登場人物が現代人のもつさまざまな問題を表現していることはわかるけど、それは「頭」でわかるだけで、「心」でわかるほどには脚本上も演技上も完成されていない)、ストーリー全体としても「だからなに?」って感じだし、舞台から伝わってくることも訴えかけてくることも心に残ることも、少なくとも自分および一緒に観にいった妻にとっては、なにもなかった。芝居を観た気がしない。劇場にいった気すらしない。

今後の離風霊船はどうしようかなぁ。大橋さん作のときにもう1回くらい観にいって、それでその後を判断しようかなぁ。

芝居、楽しみにしてたんだけどなぁ。なんだかなぁ。残念だったなぁ。

(2004.11.04)




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★映画『バイオハザードII アポカリプス (RESIDENT EVIL: APOCALYPSE)』

映画『バイオハザードII アポカリプス』を観てきました。


『RESIDENT EVIL: APOCALYPSE』
監督:アレクサンダー・ウィット(Alexander Witt)
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ(Milla Jovovich)、シエンナ・ギロリー(Sienna Guillory)、ジャレッド・ハリス(Jared Harris)
2004年・アメリカ/カナダ/イギリス映画
94分

前作は公開終了間際に新宿に観にいったら、ほとんど大画面液晶テレビと変わらないくらいの小さなスクリーンの劇場でしかやってなく、いったい何十年前の映画館かよという環境で観るはめになった。今作もまもなく公開終了ということで、ちょっと心配しつつ新宿にいったのだけど、まだ大きなスクリーンの劇場で上映されててよかったですわ。

第2作ではいっそうゾンビというか『Dawn of the Dead』ぽくなりましたねぇ。銃砲店の屋上からリヴィング・デッドをシューティング!とか、ゾンビ化した身内を殺さずに生き延びさせようとするところとか、『Dawn of the Dead』の影響(リスペクト?)を感じます。

そんでもって今回のミラ・ヨボヴィッチは侍ぽい。『Kill Bill』(観てないけど)の影響? 前作よりもいっそうりりしく、パワフルに、ていうかめちゃめちゃ強くなってる! どんどん人間離れしていきます。まぁ、もうふつうの人間ではないわけですが。最後なんて、超能力?まで身につけてましたね。あれはフォースか? まもなく完結する『Star Wars』シリーズへのリスペクト? いずれにしろ、アリス計画がスタートしたところで映画が終わってますので、パート3もつくられるのでしょう。

展開もいい具合のはやさだし、アクションもまずまず。アリスの戦闘服が前作にくらべると露出が少なめなのでミラさんの意外とぽよぽよした太ももとかが今回はあまり楽しめませんでしたが、凛々しいミラさんはやはり美しいのですわ。テレビCMでも使われた「Move」とか「Run」といった短いセリフもなかなかに決まってる。

そういえばミラさんて、アクション系の映画に出演するとほとんど毎回半裸のシーンがある気がするのだけど、今回は全裸でしたねぇ。でもねぇ、半裸でも全裸でも、色気はないねぇ、ほとんど。

しかし、敵のボスキャラ?の、あのかたちはどうなのよ。もう少しなんとかならんかったのかなぁ。いかにも安っぽい感じなんですけど。それに、できれば徹底的にビーストであってほしかったなぁとも思うわけで。「残されたわずかな良心」なんていらん。

などというところもありはしたけれど、全体的に充分に楽しめたのだわ。

(2004.10.04)




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★芝居『好きよキャプテン』Theatre劇団子


劇団子の舞台を観るのは、これが3回目かなぁ。最初は無料招待券プレゼントに当たったのでいったのだけど、そのときの芝居がおもしろかったのと、招待券客への対応もよかったので、その後は公演があるたびに、スケジュールさえあえば必ず観にいくようになった。これまでにいくつかの劇団を無料招待券で観にいったけど、芝居の内容や演技、招待客の扱いなどで「次回も観よう」と思わせてくれるところって、少ないんだよね。カリフォルニア・バカンスなんて、招待しておいてい、招待客はいちばん最後の入場、だから劇場のいちばんうしろの隅で舞台なんてほとんど見えないような席に座らせる。なんのために無料招待券を配ってるんだか。そんななか、劇団子とSky Theater PROJECTは観劇が続いている数少ない劇団。

前置き長いな。

たぶん、制作者・役者が自分と同じような世代なんだろうと思うのだけど、毎回、微妙にツボなネタ振りや笑いがある。今回は「松田聖子」だったりするんだけど、これって、うちらくらいの世代じゃないと、よくわかんないんだろうな。「のちに二谷友里恵と結婚して別れる男と付き合ったあとにカツラ男と結婚して、不気味な娘が生まれる」とか、かなりおかしいんですけど。

こんな、世代や場合によっては笑えるんだか笑えないんだか、笑っていいんだかいけないんだか、ちょっとビミョーなネタをはさみつつも、いつも「かっこわるい青春」から抜け切れない大人のお話になってる。難しく考えたり、構えたりする必要のない、わかりやすくてストレートな舞台。

もとは名門だったけど、いまでは機材も練習場所もない高校のボート部で最後の夏に起きた事件を断ち切れないまま大人になった元部員たち。ひさしぶりの同窓会で過去を振り返り、決着をつけ、新しい一歩を踏み出そうとするところで幕切れ。彼らの芝居はいつも、ほんのちょっとの哀しさや寂しさを残しつつも、最後にはいつも少しの希望や未来が見えて終わるので、観たあとの気分がいいんだよね。そのへんが甘さといえば甘さでもあるのだけど、劇団子の舞台にくればこの「ほどよい甘さ」が楽しめるってことを期待して観にきているところもあるので、これはこれでいいんだ。

役者も、毎回客演陣が登場人物のキャラクターに広がりを加えるけど、レギュラーの役者さんはそれぞれの役のキャラがほぼ決まっているようで、配役を見ればおおよそ「こいつが問題起こすな」とか「こいつはちょっとうっとうしいヤツだろう」とかあたりがつけられるのも楽しい(それがはずれることもあるし)。今回も、あいかわらずアゴの人(すみません、名前覚えられなくて)が事件を起こしてる(笑)。

そういえば、今回の登場人物にはみんな学生時代のあだ名があって、そのあだ名の由来が劇中で説明される。ビンボーなハルオで「ハルビン」、虚弱体質の「ジャッキー」(キョジャッキーから)、自分で自分をこう呼んでくれと宣言しちゃったお調子者?の「プリンス」、部での役職そのままでとくにひねりのない「キャプテン」と「マネージャー」に、在日韓国人という設定の「チョーさん」(妻いわく、韓国で「チョウ」という苗字はないんじゃない? 中国の名前だよ。とのこと)。彼らについては、なぜそういうあだ名なのかが説明され、あるいは役職そのままなので説明の必要もなかったりするのだけど、アゴの人の役柄だけ、あだ名の由来の説明がなかった。ちなみに、そのあだ名とは、

ナイフ

―― わかりやすすぎです(笑)! あんたは辻本茂雄か!!

などと思いつつ、来年春ころに行なわれる予定の次回公演を楽しみにしている自分がいたりするのだな。

(2004.09.24)




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★映画『テイキング・ライブス (TAKING LIVES)』


映画『テイキング・ライブス (TAKING LIVES)』

『テイキング・ライブス』を観てきました。

『TAKING LIVES』
監督:D.J.カルーソー(D.J. Caruso)
出演:アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)、イーサン・ホーク(Ethan Hawke)、キーファー・サザーランド(Kiefer Sutherland)
2004年・アメリカ映画
103分

自分、思いっきり勘違いしてまして。他人になりすまして事件を起こすっていうところから、ある種の寄生生物的特性を持った心霊体のようなものがどんどん寄生先の人間を乗り換えて猟奇殺人事件を繰り返すみたいな話だと思ってたんですよ。オカルト系サイコホラーみたいな、ボディ・スナッチャーみたいな。

ぜんぜん違うじゃん。

自分と同じぐらいの年格好で社会とのつながりが希薄な人を殺して、その殺した相手になりすますっていう、いうなれば『太陽がいっぱい』系(内容はぜんぜん違うけど)の「なりすまし」なのね。

そのあたりの勘違いはおいといて、ストーリー的にはけっこうゆるいです。あれだけしか登場人物が出てこなければ、犯人たりえる人物はある程度特定されちゃう。2時間ものサスペンスドラマと同じですね。けっこう途中から話が読めちゃいます。結局こいつが犯人なんだろうなと思ってたヤツがやっぱり犯人だったってことが明かされたあとの展開もありがち。どうせ偽物でしょ、だましでしょと思ってたら、やっぱりだましだったし。

なんかなぁ、シリアルキラーになってしまった理由も、連続殺人をする動機も、あいまいだし説得力に欠ける。カーチェイス・シーンもしょぼいし。もっと物語に説得力と深みがほしかったなぁ。

アンジェリーナ・ジョリーが出演している映画って、じつは観るのがはじめてな気がするのだけど、『トゥームレイダー』(でしたっけ?)のポスターで見るよりも、ずっときれいな人ですね。それくらいかなぁ、見どころは。まぁ、観ている最中はそれなりに楽しめるんですけどね、あとに残る余韻はないな。

(2004.09.23)




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★映画『ヴィレッジ (THE VILLAGE)』


『ヴィレッジ』を観てきました。『シックス・センス』で有名なM・ナイト・シャマラン監督の最新作。

『THE VILLAGE』
監督:M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan)
出演:ブライス・ダラス・ハワード(Bryce Dallas Howard)、ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)、エイドリアン・ブロディ(Adrien Brody)
2004年・アメリカ映画
108分


ウェブ上での読後感層とかを見た感じだと、な〜んかビミョーそうですねぇ。んでも、CMはそそられるものがあるのよね。森のなかに閉ざされた村。その家々につけられた「しるし」。扉にしるしをつけるなんて、もしやこれ、「過ぎ越し」? またもや聖書ネタがらみ? ワクワク。

なんて思いながら観にいったんですが、あんまり(ぜんぜん?)関係なかった。

ただ、映画自体はそれほど悪くはなかったですよ。あいかわらず「赤」の使い方が印象的で、雰囲気はよく出てる。エイドリアン・ブロディ(だっけ? 『戦場のピアニスト』の人)のイカレ芝居はいいね。知能には障害があるけど、そうでない人と同じように心は弾んだり傷ついたりするっていうのを上手に表現してる。

ストーリー自体は、べつにどうってこともない。シャラマン映画は最後のどんでん返しが見どころ?らしいのだけど、たいしたどんでん返しでもない。

ある種の理想を求めて外界から遮断されたコミュニティをつくり、そこで何年かに渡って生活してきた人々。コミュニティを守るためにコミュニティの創設者たちがつくりあげたルールと、それが「創設者たちによってつくられたルール」だと知らない若いメンバー。そのコミュニティにある日おきた事件。そして余儀なくされた外界への再接触。そういったことが、比較的淡々と描かれているだけ。

でも、淡々としたなかに、それぞれの登場人物の心の動きがあり、揺れがあり、希望があり、閉塞感があり、愛があり、憎しみがある。ふつうに「人間の精神活動」がある。外界から隔絶された、つくられた世界でも、やはり捨てきれないのだろう。そういう意味で、とても人間くさい話だな。

ただ、このコミュニティをつくるにいたった創設者たち(映画内では「年長者」といっていた)が、なぜこのコミュニティをつくった(つくらざるをえなかった)のかという点については、映画で描かれる理由だけでは弱いなぁ。たしかに悲惨なことではあるけれど、それだけで「社会」を捨てて「ゼロから新しい世界をつくる」までにいたるのだろうか。

あと、ふたつほど疑問点。

このコミュニティをつくったのは「年長者」たちだと思うけど、いったい何人でつくりはじめたのだろう? そして、映画で描かれている村は、創設後何年ほどたっているのだろう? 映画内ではけっこうな数の村人がいて、年長者以外に年頃の若者も相当数いるのだけど、外界との接触を絶っている村だから、外との人的交流はないんだよね。ということは、あの若者たちはみんな「年長者」たちの子供? 冒頭で7歳くらいで死んだ子は、年長者たちの子供同士が結婚して生まれた子供? いずれにしろ、この村では近いうちに(すでに?)近親婚が繰り返されるしかなくなる。年長者たちはそのことをどう考えているんだろう。

それと、この映画、舞台は19世紀末だよね。冒頭で死んだ子の墓に189X年とか書いてあった気がするから。でも、最後に森を抜けて街へ到達した女性に薬を渡した兄ちゃんが乗ってたクルマ、あれって19世紀のもの? なんか、えらく近代的なクルマだったと思うんだけど。兄ちゃんが薬を取りに戻った詰め所も、19世紀のものには見えない。もしかして、村のなかだけ19世紀で、森の外は20世紀もしくは21世紀なの? それとも、なにか自分は大きな思い違いをしている??

なんてことが気になる映画でした。

(2004.09.17)




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★映画『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち (LES RIVIERES POURPRES 2: LES ANGES DE L'APOCALYPSE)』


『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』を観てきました。早稲田松竹のラスト1本800円でやっていたので。観るのははじめて。

『LES RIVIERES POURPRES 2: LES ANGES DE L'APOCALYPSE』
監督:オリヴィエ・ダアン(Olivier Dahan)
出演:ジャン・レノ(Jean Reno)、ブノワ・マジメル(Benoit Magimel)、クリストファー・リー(Christopher Lee)
2004年・フランス映画
100分

古い修道院。キリスト像から流れ出る血。12使途と同じ名前を持った猟奇殺人の犠牲者たち。薄暗く湿った映像。なんて自分好みなお膳立て。

このまま古い宗教観や教会が隠し(守り)続けてきた秘密などをベースにゴシックなサスペンスになってくれればおもしろかったかもしれないのになぁ。途中から「埋蔵金を探せ」映画になっちゃった。『キング・ソロモンの秘宝』系? 最後は思いっきり『インディ・ジョーンズ』。まいっちゃったな。アークが財宝に変わっただけじゃん。やっぱりドイツかよ、みたいな。ただ、敵(ドイツ)の親玉がクリストファー・リーというのはいいね。元祖ドラキュラ役者。反キリスト。教会の隠した財宝を奪おうという悪役にはぴったりなキャスティング?

『クリムゾン・リバー』1作目(テレビで観た)もベースの部分のストーリー(猟奇殺人の動機)があまりに薄っぺらくてまいっちゃったな系の映画だったけど、続編もやっぱりおんなじ。ゴシックなお膳立てがなんの役にもたっていなかった。

(2004.09.13)




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