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★映画『クイール』 (2005.03.22)
★ミュージカル『十戒』 (2005.03.07)
★映画『オペラ座の怪人』 (2005.02.21)
★映画『A.I.』 (2005.01.31)
★映画『マイ・フェア・レディ』 (2005.01.31)
★映画『Gun Crazy episode II』 (2005.01.31)
★映画『ネバーランド』 (2005.01.31)
★アレグリア2 (2005.01.24)
★イタリア・フェスティバル行ってきました (2005.01.17)
★テレビ映画『ドン・キホーテ』 (2005.01.14)







★映画『クイール』

『クイール』
監督:崔洋一
出演:小林薫、椎名桔平、香川照之
2003年・日本映画
100分

テレビで映画『クイール』を放送してたので、つい観てしまったのだけど... 評判どおり、映画としては見どころのないものだったなぁ。地上波放送用にシーンのカットが雑に行なわれていたのかもしれないけど、本質は変わってないだろうと思われる。ただ「事柄」の羅列があるだけ。この日にこういうことがありましたといったことが並べられてるにすぎない。登場人物(犬も含めて)の誰にも感情移入できないし、誰のドラマも描かれてない。いったい、この映画のテーマはなに? 焦点はどこ? なにを伝えたいの? なんか「犬、かわいぃ〜♪」ってこと以外に何も残らなかったなぁ。

あと、クイールの夢に出てくる「ピーちゃん」(でしたっけ? お気に入りのぬいぐるみ)、めっちゃ怖いですから。あそこの部分はホラーですか? あんな夢見たら、ぜったい悲鳴を上げますわ、自分。まちがいなく悪夢じゃん。

しかし、役者さんはなかなか味のあるいい役者さんを使ってるのに、ほんともったいない。どうしてこんな映画になっちゃったのかなぁと、激しく残念な映画でした。

(2005.03.22)




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★ミュージカル『十戒』

ミュージカルの舞台は以前、劇団四季の『Cats』と、ケン・ヒル版の『オペラ座の怪人』を観たことがある(いずれも東京で)のだけど、いずれもそんなにおもしろくない、というよりもつまらなかったし、感動もしなかったし、音楽もいいとは思わなかったのですよ。

そんなわけでミュージカル2連敗中のなか、期待と不安を感じながら観にいってきたのですよ、フランス製のミュージカル『十戒 (Les Dix Commandements)』を。そう、「海よ、割れろ!」で有名な旧約聖書の出エジプト記、モーセおじさんの活躍を描いた、わくわくどきどきのお話です。

座席はなんと、アリーナのいちばん前の列。だけど、いちばん右端(涙)。舞台に対する角度がめちゃめちゃ浅い。目の前にはすぐ巨大スピーカーです。う〜む、ちょっと観にくいぞ。この角度だと舞台セットの柱が邪魔になって、舞台の奥のほうはよく見えんな。

などと思っているうちに、始まりましたよ。なんてったってスピーカーのまん前ですから、めちゃめちゃ音が体にぶつかってきますよ。そしていきなり、ちょっと感動しちゃいましたよ。

音楽がいい!

そう。メロディのヴァリエーションが少なくフレーズの魅力もあまりないA.L.ウェーバーの「Cats」や「The Phantom of the Opera」などとはくらべものにならないほどに、魅力的なメロディがドラマティックに構成された曲がいっぱいなのです。さすが、フレンチ・ポップス界のビッグ・ネーム、Pascal Obispo(パスカル・オビスポ)が音楽を担当しただけあります。

そして、当然なのだけど、みなさん歌がうまい。思いっきりロック/ポップス・スタイルではありますけど。A.L.ウェーバーの映画版『オペラ座の怪人』では、ストーリーのキーパーソンであるファントムの歌の下手さ(というか、“ファントム”という役柄とロック的なヴォーカル・スタイル、歌声とのあまりのミスマッチ)にめちゃ引きだったのですが、『十戒』ではべつに“オペラ的な”歌唱が要求されるわけでもなく、普通にポップス/ロック・スタイルの歌唱で違和感がないからよかったです。

とはいえ、モーセ(Sergio Moschetto)にはもっと深くて豊かな響きのある声で歌ってもらいたかったかな。民を導く、ある種のカリスマなわけですから、もっと直接心の奥に響いてくるような、厳しさとやさしさと暖かさが共存しているような声だったらもっとよかった。偉大なる神の預言者のわりには、あまりに世俗っぽいというか、ちょっとスケベっぽいというか、色っぽいロック・ヴォーカルだな。これはこれでいい声だし、うまいんだけど。

対するラムセス(Ahmed Mouici)もいい声でした。モーセよりも少し奥行きがある感じ。配役を逆にしたほうがよかったかも。でも、それほどモーセの声との違いは大きくなく、一緒に歌うと綺麗に混ざり合いすぎてしまった感じはあります。対立するふたりなので、声にももう少し違いがあって対旋律を歌うような仕掛けになってたら、もっとよかったかな。

主役となるモーセもラムセスもいい声でしたが、もっとも魅力的なヴォーカルを聴かせてくれたのは、実はヨシュア(Pablo Villafranca)でした。響きのある力強い声。モーセ亡きあとにイスラエル人を導いてくことになる次代のリーダーの若き日々なわけですが、彼の声にはついていくかもなと思ってしまった。あと、モーセのお兄さん(のはずなんだけど舞台ではモーセよりも若い設定だったように感じられる)のアロン(Fabian Richard)もいい声だった。しかし、ヨシュアもアロンも舞台ではほとんど活躍しなかったのが残念。

女性陣では、モーセの妻セフォラ(Clarisse Lavanant)のヴォーカルが素晴らしかった。セリーヌ・ディオンかってくらい。あと、王妃ビティア(Lidia Malgieri)も、愛情と哀しみを上手に歌で表現していると感じられました。ちなみにヨケベト役のAnne Warinは、ちょっと年をとって太った白石美帆みたいなルックスがグッドでした(笑)。

フランス製のミュージカルなので、歌詞は全部フランス語、その日本語訳が舞台の両脇の電光掲示板に映し出されるのだけど、いちばん前のいちばん右端という席の関係上、日本語字幕を見てると舞台が観られなくなっちゃうのですよ。なので、字幕を見るのはあきらめました。基本的な話は知っているし、ミュージカルとはいえ歌の歌詞でストーリー自体を進めたり情景の説明をしたりというタイプではなく、どちらかというと歌はそれぞれのシーンでの登場人物たちの心情を表すために使われていて、物語の進行自体は舞台転換の合間に字幕オンリーで表示されるといったスタイルだったため、歌詞の意味がわからなくてもそれほど困らないつくりだったのが助かりました。登場人物たちの心情は、言葉はわからなくても歌声の持つ情感やメロディ等の雰囲気、それに舞台での動きなどを見れば、おおよそ見当がつきますからね。

しかし、ダンサーさんたちのダンスが実はあまりきちんとそろっていない、ダンスのクオリティにけっこうばらつきがあるのが気になってしまった。ひざを伸ばして足を上げるところでは、みんなそうしようよ。なんであなたとあなただけひざが伸びないの? とかね。あと、ターンの際のスピード感とか、腕の振りのしなやかさとか、細かいところはけっこうばらばらでしたわ。

などということもあったのだけど、やっぱり「十戒」は物語自体がドラマチックですからね。イスラエル人たちがエジプトに「自由を!」と要求する合唱シーンとか、もうたまらないです。合唱はずるいです。無条件で感動モードに入ってしまう。最後の十戒を読み上げる(歌い上げる)シーンとかもね。アンコールではほとんど24時間テレビのフィナーレかよ、みんなで「サライ」を歌うのかよみたいな感じになってました。

うん。おもしろかったよ。やっぱり、ちゃんとストーリー自体がおもしろくて、いい曲がついていて、いいシンガーが歌ってくれるのであれば、ミュージカルもおもしろいし感動的なんだな。こういった舞台が期待できるなら、またミュージカルを見てもいいぞと思ったのでした。通算成績1勝2敗という感じです。でもこの1勝の価値はでかい。いいものを観ました。

(2005.03.07)




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★映画『オペラ座の怪人』


ミュージカル映画『オペラ座の怪人』を観てきました。

『オペラ座の怪人 (The Phantom of the Opera)』
監督:Joel Schumacher(ジョエル・シュマッカー)
出演:Gerard Butler(ジェラルド・バトラー)、Emmy Rossum(エミー・ロッサム)、Patrick Wilson(パトリック・ウィルソン)
2004年・アメリカ/イギリス映画
140分

劇場で観た予告編がよかったので、けっこう期待していきました。ミュージカル『オペラ座の怪人』は、ケン・ヒル版は観たことがあるのですが、あまりおもしろくなく、劇団四季が採用しているアンドリュー・ロイド・ウェーバー版を観てみたいと思っていたし、今回の映画はウェーバー版の完全映画化だということもあったので、楽しみにしてたんです。

観終わった感想。う〜ん、思ったほどじゃないな。悪くはないけど。

『オペラ座の怪人』自体は原作の文庫本を読んだこともあるのですが、じつはあまり細かいところまでは覚えていません。でも、より原作に忠実なのはケン・ヒル版ミュージカルでしょう。ウェーバー版は、けっこうアレンジが加えられていた感じです。

しかし自分にとっての『オペラ座の怪人』は、おそらく10年以上も前にNHKで放送された、イギリスかアメリカで制作された3時間程度のドラマのイメージなのです。このドラマでは、原作のイメージをきちんと残して、かつシンプルに(原作はけっこう長くて途中かったるかったりするのです。そういうところがフランス的?)、しかしポイントははずさないというつくりになっていました。

今回の映画(少し前に来日公演があったケン・ヒル版ミュージカルもそうでしたが)のもっとも弱いところは、ファントムの歌がうまくない、という点だと自分は思います。だってファントムは「音楽の天使」なんですよ。なのに、あの発声、あの歌い方はいかんだろ。

べつにこれがロック・ミュージカルだとかロック・オペラだとかだったらかまいません。たしかに『オペラ座の怪人』という作品自体はロックというかポップ・オペラなので、そういう意味ではこの歌い方でもかまわないといえばかまいません。

でも、舞台となっているのはパリのオペラ座ですよ。登場人物はオペラ座関係者ですよ。そしてファントムを慕うクリスティーヌはソプラノ歌手で、クリスティーヌに歌のレッスンをしたのがファントムなんですよ。なのにあのファントムの歌唱。ありえない。

ラウル・シャニイ伯爵の歌がポップス歌唱なのはぜんぜんかまいません。彼は「素人」さんですから。しかしクリスティーヌとファントムには、オペラ座で働く人間を、オペラ座にオペラを観にくる観客たちを、心の底からとらえて離さないような圧倒的な歌唱力と声が必要なはずなのです。

ファントムが、本当に「音楽の天使」と思えるほどに素晴らしい歌声を持っていなければ、この話は成立しないはずなんです。

この映画を観て、ラウルとファントムのあいだで揺れ動くクリスティーヌの心を「移り気」とか「浮気性」のように感じた人が多くいたようです。そう思われて当然。それを「字幕(翻訳)のひどさゆえ」と指摘している人も少なくありませんが、それ以前に「ファントムの歌の下手さゆえ」のほうが大きいでしょう。

クリスティーヌのなかにある「ラウルに対する愛」と「ファントムに対する愛」は、まったく別のものです。幼馴染でもあるラウルに対する愛は、いわゆる「恋愛感情」です。しかし、ファントムに対する愛は、音楽という芸術への渇望であり、音楽家・芸術家としての自分をより高みに導いてくれる、あるいは自分が愛する「音楽という芸術」の素晴らしさを理解してくれ、一緒に愛してくれ、さらに高い次元の素晴らしさを見つけ、教えてくれる、まさに「音楽の天使」への愛情であり、非常にスピリチュアルなものです。プラス、そこに亡くなった父親(やはり音楽家)への想いも重なるのですが、このふたりをつなぐのはあくまでも「音楽」なんです。しかし、ファントムの側がそこに「音楽以外のもの」を見出し、求めてしまったところにファントムの哀しみがあるわけです。

ところが、この映画のファントムは、セクシーで魅力的な男性ではあるけれど、「音楽の天使」には程遠い。「音楽の天使」を名乗るなら、フランコ・コレッリくらい素晴らしい歌声を聞かせてくれ、せめてアンドレア・ボチェッリくらいの歌は聞かせてくれよ。そこがあまりにも弱いので、クリスティーヌとファントムをつなぐはずの「音楽」が観客に理解できず、結果としてラウルとファントムがほとんど同格・同種類の「恋の相手」に見えてしまうところが非常に残念。

ついでにいってしまうと、映画内(ということは、ミュージカル内)で使われている音楽自体も、それほど魅力的には感じられませんでした。有名な「ファントムのテーマ(?)」はインパクトがあるけれど、それ以外は思ったよりフレーズにバリエーションがないのね。ミュージカル『Cats』もウェーバー作だったような気がしますが、あれもおんなじフレーズばかりで観てて飽きた記憶があります。もちろん、同じフレーズを何度も使うことでよりそのフレーズの印象が強まるということはあります。それぞれのフレーズにはそのフレーズが表わす登場人物や感情が割り振られていたりするので、ある種のナレーション/字幕スーパー的な意味合いで同フレーズを多用しているということはあるのでしょう。でも、飽きるものは飽きる。

自分が以前に見たテレビドラマ版の『オペラ座の怪人』では、音楽はオペラそのものを使っていました。それぞれの主要なシーンでオペラからのアリアを用い、それまでオペラを聴いたことのなかった自分にはそれがとても印象的かつ魅力的でした。主に「ファウスト」からの曲を使っていましたが、これで自分は「ファウスト」のCDを買ってしまいましたから。いまでもドラマのクライマックスで使われたパートを聴くと、ちょっと泣きそうになります。オペラという「音楽」で引かれあうクリスティーヌとファントムのある種の絆が強く感じられ、しかしその絆を自分で壊してしまうファントムの弱さと哀しみが胸にしみます。

そういった部分が、この映画ではぜんぜん伝わってこなかった。そのため、ただのラヴ・ストーリーになっちゃったなと思います。

とはいえ、セットは豪華だし、よくつくってあるとはいえるでしょう。音響面も含めて、観るのであれば劇場で。人間描写が浅いので、DVDではいっそうのスケールダウンはまぬがれないだろうな。

(2005.02.21)




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★映画『A.I.』

『A.I. (Artificial Intelligence:AI)』
監督:スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)
出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント(Haley Joel Osment)、フランシス・オコナー(Frances O'Connor)、ジュード・ロウ(Jude Law)
2001年・アメリカ映画
146分

先日地上波テレビで放送されたのを録画してあった。
気持ち悪いです。グロテスクです。最悪です。それでもって差別意識にあふれている感じがします。自分はもともと子供が嫌いなんですが、メカ子供のディヴィッドは子供のいやらしいところ、むかつくところが集大成されてますね。無知で馬鹿で自己中心的で。むかついてきます。てめぇ、自分のことばっか考えてないで、すこしはくまさん(テディ)のケアもしてやれよ、という感じです。できそこないメカ子供のてめぇよりも、くまさんのほうがよっぽど人間的だ。
夜観てたのですが、なんだかすごく気分が悪いまま就寝するはめになりました。大失敗。

(2005.01.31)




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★映画『マイ・フェア・レディ』

『マイ・フェア・レディ (My Fair Lady)』
監督:ジョージ・キューカー(George Cukor)
出演:レックス・ハリソン(Rex Harrison)、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)、スタンリー・ホロウェイ(Stanley Holloway)
1964年・アメリカ映画
173分

BSで放送されたものを録画してあった。

1964年の映画だそうだから、自分が生まれる前。主演はもちろんオードリー・ヘップバーン。オードリーはやっぱり綺麗です。最初の下品な花売り娘から、最後はプリンセスと間違われるまでの気品と美しい言葉遣いを身に着けたレディへ。話し方や発声、発音、身のこなしなど、自然に演じ分けていました。

貴婦人になったオードリーが、花売り娘時代に生活していた地域へいくシーンなど、ちょっと切なくなりますね。中産階級になってしまった飲んだくれ親父も含めて、本当にあれで幸せなのだろうかと、少し思ってしまった。

古い町並みや、花をじょうずに扱った映像は美しく、物語は素直で、やっぱり古い映画はいいなと感じます。

などということもありますが、この映画を大雑把にいうと、大変な(困った)おっさん(ヒギンズ教授)の騒がしい毎日... といったところでしょうか(違う違う)。

(2005.01.31)




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★映画『Gun Crazy episode II』

『Gun Crazy episode II 裏切りの挽歌』
監督:室賀厚
出演:菊川怜、永澤俊矢、清水紘治
2002年・日本映画
64分

夜中にテレビで放映されていた。

1作目は米倉涼子主演で、くだらないながらもばかばかしいおもしろさ、爽快さがあった。やくざ?に父親を殺された娘の復習劇というのも陳腐だし、突っ込みどころ満載なんだけど、それはそれで目的がはっきりしているし、その点では共感もしやすいし、楽しめるストーリーだった。それに鶴見辰吾鶴見辰吾も「こういう漫画みたいな役と芝居、やってみたかったんだろうなぁ。笑」という感じで、休みの日に寝っころがって観るにはけっこういい映画だった。

しかし、2作目のこれはひどい。菊川怜のどうしようもない芝居は米倉以上だけど、まあそれは最初から期待してないのでいいとしよう。しかし、ストーリーがちゃちすぎ。たったあれだけのことで菊川がスナイパーになるなんてまったく納得も共感もできない。あれだけのトレーニングであそこまで射撃がうまくなるなんてのも、あまりにもご都合主義。希薄な目的意識、さえないストーリー展開、演技力のない役者。休みの日を無駄にするには最適かも。

ここしばらく舞台の脚本・演出で見かけない水上竜二さんが出演してるのを発見。すぐ殺されてた。こんな映画に出るより、Tokyo F公演を復活させてくださいよ。

(2005.01.31)




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★映画『ネバーランド』

『ネバーランド (Finding Neverland)』
監督:マーク・フォースター(Marc Forster)
出演:ジョニー・デップ(Johnny Depp)、ケイト・ウィンスレット(Kate Winslet)、ジュリー・クリスティ(Julie Christie)
2005年・イギリス/アメリカ映画
100分

なんていうか、「いい映画観たなぁ」という感じ。どこがどう「いい」のか、うまくいえないんだけど、なんか胸にじわぁってくる。「ピーター・パン」自体もちょっと哀しいところがあるのだけど、その話が生まれた背景にも、やっぱり哀しいところがあったのね。

いろいろなことの「終わり」が、この話のモチーフなんだろう。命の終わり、愛情の終わり、家庭の終わり、少年期の終わり。その「終わり」を認識し、受け入れるのがつらいときに、人はファンタジーの世界を求め、そこに逃げようとする。

でも、ずっとファンタジーの世界にいるわけにはいかない。いつか「現実」に帰ってこなければならない。ファンタジーの世界は、現実逃避のためにあるのではなく、現実を認識し、受け入れ、新たな一歩を踏み出すためにあるんだ、というのがこの映画(および「ピーター・パン」)のテーマなように思う。原題の『Finding Neverland (どこにもない場所を探して)』って、そういう意味なんだろうな。

むかし、誰かがファンタジー小説について、こう書いていたのを思い出す。

「必ず現実に戻ってくるのが本当のファンタジー。夢の世界にいったままで返ってこないのは、ファンタジーとはいわない」

(2005.01.31)




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★アレグリア2


今回も観にいってきましたよ、シルク・ド・ソレイユ。来日のたびに必ず観にいってる(初来日公演のときだけ見逃しているのがいまだに残念)。今回の演目は「アレグリア2」です。

シルクの来日はこれで6回目になるのかな。初来日の「ファシナシオン」はどんなだったんだろう。なぜか「ファシナシオン」はサウンドトラックがないんですよね。日本向けの特別プログラムだったのかなぁ。その後は「サルティンバンコ」「アレグリア」「キダム」ともにサントラがあって、もちろん持ってたりするんですが、曲的にはこのなかでは「アレグリア」がいちばんいいと思います。いにしえの街角ユーロ音楽やヘヴィメタルを知る前のプログレッシヴ・ロック/シンフォニック・ロックの匂いがするんだよな。

今回は「アレグリア2」ということで、前回の「アレグリア」とは少し内容が変わっているらしいのだけど、具体的にどこがどう変わっているのか、前回のことをくわしく覚えていないのでわかりません(汗)。ただ、舞台セットは変わったな。前回のときはたしか、バックバンドのうえに水晶風の屋根?があって、そこがせり出しステージの代わりにもなり、歌姫がそのうえで歌うシーンがあったのだけど、今回は水晶屋根ではなく、木組みの梁みたいなつくりになってた。そこで歌うシーンもあるのだけど、それよりも下で、舞台の前のほうに出てきて歌うことのほうが多かったな。ちなみに歌姫自体は前回来日時の人のほうが声に迫力と哀愁があってよかった気がする。今回の人も悪くないのだけど、ちょっと品がいい感じ。って、同じ人だったらどうしよう(笑)。

ステージで繰り広げられる数々の演目は、もう「さすが!」としかいいようがないです。人間の肉体ってこんなにも躍動美にあふれているんだ、これほどまでに美しさと可能性を秘めているんだってことを改めて感じる。ワイヤーアクションでもCGでもない、生の肉体が奏でるアクション芸術。気がつくと口開いちゃってますよ、自分。そんななかでも前半にあった空中ブランコとトランポリンはとくに素晴らしかった。メロウな曲にのって演じられるブランコの幻想美、舞台に十字型に仕込まれたトランポリンを最大限に活かしたスピーディな躍動感。感動で涙ぐんでしまいます。それと、スチールパイプ製?の立方体を使った演目も美しかったなぁ。

そして最後におなじみのテーマソングが聞こえてきて大団円。このテーマソングでのヴォーカルがちょっとパワー不足だったのが残念。「キダム」のように、数々の演目に圧倒されっぱなしの最後にテーマ曲で感情が一気にあふれる、ていう感じになるとよかったのだけど。

とはいえ、やっぱりシルクはすごいです。彼らのステージを見ることができて本当によかったって思います。ぜひまた来日してほしい。ただ、次は「キダム2」とか(笑)じゃないほうがいいな。できればまだ日本でやっていない演目で来てね。個人的には「O」が観たいです。セット的に日本では難しいのかな。ラス・ヴェガスまで観にいくしかないか。

(2005.01.24)




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★イタリア・フェスティバル行ってきました

東京ドームで行なわれた「イタリア・フェスティバル」、1月15日(土)に行ってきました。お目当てはもちろん、今回初来日となる“現役”(ここ大切!)カンタウトーレ、Gatto Panceri(ガット・パンチェーリ)のライヴ&フラッグ・ショーです。なので午後2時過ぎにのんびりと出かけてきました。

んが! やはり土曜日ともなると、朝から雨模様なのに、午後には雪になると予想されているのに、めちゃめちゃ寒いのに、それでもたくさんの来場者がいらっしゃいました。自分は人がたくさん集まって自由に歩くのがままならない催物会場などがとても苦手なもので、入場した時点でちょっと後悔(笑)。もっと遅く、Gattoのコンサートだけに時間を合わせて来ればよかったかも。

コンサートは午後5時からなので、開始まであと3時間弱あります。席を確保するために30分前に着席したとしても、2時間はなんとかして時間をつぶさなくてはなりません。しかし、どこのブースも人だらけ。なんとかいうレストランはすでに今日の分の入店整理券全部配布済みだそうで、あとは自分の番号が呼ばれるのをひたすら待つだけになってるらしい。食事をする時間を自分で選べないなんて、そんなのやだな。もとから会場内で食事をする気はないのでかまいませんが。その他のバールやテイクアウェイの飲食店ものきなみ1時間待ち。ご苦労様です。

飲食以外の各ブースもけっこうな人ごみで、とくに試飲・試食があるところは飲食店なみの行列。いったい何を配っているかと見れば、ふつうにヴェルディッキオとペコリーノだったり、バゲットにオリーブのペーストを載せたものだったり、オリーブオイルとバルサミコをパンにつけてるだけだったり。ワイン数種類の試飲というのもあったけど、正直にいって、あんなちっちゃなプラスチックカップではそのワインの持つ本来の味わいなど感じられるはずもなく、1時間近く並んでまでも飲みたいとは思えないのでした。

一方で、自動車や自転車の展示といった、女性陣・おばちゃん陣にはあまり興味がないと思われるブースは比較的すいてました。いやぁ、美しかったですよ、フェラーリF2002(だったっけ?)。F1のチャンピオン・マシンですからねぇ。流れるようなライン、燃えるフェラーリ・レッド。ここにミハエルが、ルーベンスが、もしかしたらルカ・バドエルが?乗り、テストをし、場合によっては実戦にも使われたかもしれない。やっぱりF1マシンは美しい。

ほかにもアルファ・ロメオやパンダ、チンクェチェントなども展示されていて、イタリア車の美しさ、可愛らしさを堪能できました。こういった「本物のイタリア車」とくらべると、ニッサン・ムラーノとかはやっぱりパッチもんですね。あのフォルムのどこが「ヴェネツィアのムラーノ・グラスを意識」なんだか。

そのほかの展示物は、物販を含めてあまり興味がわかず。ワインはどれも高めだし、オリーブやプロシュートなどはインターネットで買えるものが大半。これは!と興味を持って手に取ったアマレットなどは展示のみの非売品だったり。ヴェネツィアン・グラスにしてもカメオにしても、どうせ買うんだったら現地に行って買おうって思っちゃいました。唯一楽しかったのは、やはり職人さんによる実演ですかね。絵画修復なんかはとても興味深い。ヴァイオリン職人はずっとバック・ボディの木を削ってるだけでしたが、それもまた楽し。靴づくりもなかなか見てておもしろいです。

そうこうしているうちに4時を過ぎ、少し早いけどちょっと疲れたこともあってステージ前の客席へ。会場内でもらった料理のレシピを見たり、持っていった本を読んだり、うとうとしたりしながら待ってると、そのうちにピッツァ・アクロバットがスタート。こういったショーはテレビで見たことはあるけど、生ははじめて。いやぁ、ほんとによく回しますね。生地がどんどん伸びますね。なかなか楽しいですね。しかし、こういったショーを見てていつも思うんですが、この技術って、美味しいピッツァづくりに関係があるんでしょうか。

ピッツァ・アクロバットのあと、ついについに今日のメイン、Gatto Panceriのコンサートです。初来日だというのに小さなステージで、バンドも置けず、ほとんどがカラオケ演奏をバックにという、いちイタリアン・ポップス・ファンとしてもなんだか申し訳ないようなこじんまりした舞台でしたが、それでもGattoはいいコンサートを行なってくれたと思います。

なにしろ、いまも現役ばりばりで活動中の人ですからね。ふだんからきちんと歌っている声、Gattoのことを知らない観衆がおそらく半数以上を占めるなかでも投げやりになることなくきちんと会場をケアするステージング。さすがです。そしてなにより、彼の曲って実はメロディがとってもポップでキャッチーだったんですね。自分は古いアルバムを2枚持っているだけで、今回のステージで歌われた曲は知らないものが多かったのですが、サビの部分などはほとんどその場で覚えてなんとなく一緒に口ずさめるものばかり。メロディもそうだけど、歌詞も比較的簡単な言葉をサビに置いてあるので、うしろの席に座っていたあきらかに「イタリアン・ポップスって何?」といったスーパーからの買い物帰りのようなおばさまですら最後は少し口ずさんでました(変な音程で。笑)。

また、数は多くないながらも、関西方面から応援に駆けつけたらしいペンライト女性集団は声を揃えて「ガットォ〜」と声をかけ、単発ながらもところどころで「ブラヴォ〜」(できれば「ブラァ〜ヴォ」のほうがイタリア語っぽく聞こえるんですけどね)の声があがり、最前列では「GATTO 6 GRANDE」(「Gatto sei grande」、ガット最高!って意味ですね)という横断幕をつくって応援する熱心なファンもいてと、こじんまりした分アットホームなよさっていうのもあったように思います。Gattoも初来日を楽しんでもらえたならいいんですけどね。

しかし、あの曲名紹介をするMC?のお姉さんは、もう少しなんとかならんのか。耳に痛いキンキン声は仕事柄しかたがないにしても、「Dove dov'e'」を「どべどべ」と思いっきり日本語(しかも絶対ひらがなに違いない!)でいうし、Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)のことを「ぼっちぇり」っていうし(日本人にありがちな間違え方だ)。などということもありましたが、次回はぜひ、バンドを引き連れてのフル・ステージを見てみたいものです。

Gattoのコンサートのあとは、妙に笑顔のかわいいヴィオリノ&フィザルモニカのじいちゃん二人組「デュオ・イタリー」+ゲスト?シンガー「フランチェスコ」によるカンツォーネ・ショー。はい、いかにもイタリア。ひなびた哀愁のある「デュオ・イタリー」の演奏は古いイタリア映画を見ているようです(といっても、実際に古い映画を見たことはあんまりないので、あくまでも印象ですけど)。

そして午後7時10分。今回のふたつめの目的であったフラッグ・ショーの始まりです。これまた楽しかった。会場となったスペースが狭いため、ところどころやりにくそうな感じはあったけど、2回ほどミスもあったけど(笑)、美しくも迫力のあるショーを見せてくれました。しかも、たまたま自分が立っているすぐ前に小さな子供二人組(幼稚園から小学生くらいの姉妹?)がいて、この子たちがえらくショーに興奮し、手をたたいたり笑い声を上げたりするもので、旗振り隊の人たちの多くがこの子たちに視線を投げかけ、ほんの少しこの子たち寄りに演技をしたりしてくれたものですから、なんだかふつう以上に楽しかったように思います。髪の毛やわらかウェーブのスター?な兄ちゃんもたくさん微笑みかけ、しかし決めるときには引き締まった表情を見せと、メリハリのある演技をしていました。しかし、兄ちゃんからおっさんまで、股間もっこりのぴったりタイツは、なんだか見ていて恥ずかしい。

Gattoのコンサートにフラッグ・ショー。このふたつだけでも雨の降る寒いなか出掛けてきて入場料1500円払っても充分以上に価値のある、素敵な1日でしたわ。

(2005.01.17)




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★テレビ映画『ドン・キホーテ』

スペインの古典、ラ・マンチャの男、風車に戦いを挑んだことで知られる、ドン・キホーテ・ド・ラ・マンチャです。

自分ね、このお話、読んだことがないんですよ。ドン・キホーテという名前は知ってるし、ロバに乗ったサンチョ・パンサという従者と一緒に旅に出て、風車を巨人だと思いこんで戦いを挑む、っていうシーンはね、たぶん絵画で見たかなにかで知ってる。そこから導き出されるこの物語は、いわば頭のおかしなジィさんの話、かなと思ってたんです。

「この映画はスバラシイ!」の1月13日の書き込みに、「名前に“ドン”が付く人は、素性のわからない人が多い」とありました。そんな「素性のわからん人」のなかにドン・キホーテもあげられていた。

そう。たしかに素性がわからないんですよね。いったい何者なんだ、ドン・キホーテ。やっぱりあたまのおかしなジィさんなのか、それともミュンヒハウゼン男爵(『ほら男爵の冒険』の主人公。映画『バロン』の原作?ですね。子供のころに読んですごくおもしろかった記憶がある)のような、空想癖のある愛すべきじいちゃんなのか。

そしたら先月だったか、NHK-BSで、アメリカで制作されたテレビ用映画(なのかな?)『ドン・キホーテ』が放送されたんですよ。

ドン・キホーテって、こんなお話だったんだ。最初はある種の老人性痴呆というか、いわゆる「ジィちゃん、ぼけちゃったのね」ってなことを思いながら見てたんだけど、また実際、ちょっとぼけちゃってるともいえるんだけど、そんなジィちゃんを見て笑うって話じゃないぞ、これ。

騎士の時代や騎士の活躍が書かれた書物が大好きで、騎士の時代、騎士の世界へずっと憧れていた男性が、歳をとり、ある日突然、自分は騎士だ、と思いこむ。名前もドン・キホーテ・ド・ラ・マンチャと変え、従者を連れて、騎士としての名誉と誇りを求めて旅に出るんです。

でも、世界にはとっくのむかしに騎士道なんてなくなってた。騎士が重んじた名誉も品性も勇気も他者への尊敬も、いまの世では馬鹿にされ、軽んじられ、からかわれる対象でしかない。でもドン・キホーテは、それに気づかない。馬鹿にされているのに、からかわれているのに、毅然と「騎士としての立ち居振る舞い」を貫く。そこにコミカルなおかしさを見る?

ドン・キホーテのやっていること、考えていることって、本当に馬鹿にされ、からかわれ、軽んじられるべきものだろうか。純朴だけど考えの足りないサンチョ・パンサを馬鹿にすることが、本当に正しいなことだろうか。

謎の騎士に扮した学者との馬上試合に負け、誇り高きラ・マンチャの騎士ドン・キホーテは旅をやめ、家に帰ります。家族から「ジィちゃんを正気に戻してくれ」と頼まれた学者は、みごとにその役を果たしたのです。

そして、家に戻ったドン・キホーテは、すべてが夢であったこと、自分が正気を失い、本のなかの世界と現実がごちゃ混ぜになっていたことを認識します。そして家族の願いどおり正気に戻り、もう騎士の時代は終わった、もう騎士はいない、騎士のいるべき場所・いられる場所はない、ということを認めます。

そして、息を引き取ります。

最後は自分、泣きそうでした。夢をなくしては、生きていくことができない。誇り、品性、尊敬が重んじられない世界では、生きていくことができない。そんなドン・キホーテを、笑うことなんてできない。

世界でもっとも売れている本は『聖書』だそうですが、2番目に売れているのは、実は『ドン・キホーテ』なのだそうです。古典として読み継がれているものには、それだけの理由(深み)があるんですね。近いうちにちゃんと本で読もう。

(2005.01.14)




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Pensiero! 別館 I

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