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★映画『THE 有頂天ホテル』(2006.01.30)
★舞台『新春歌舞伎』(2006.01.23)
★映画『恋愛寫眞』 (2006.01.16)
★舞台『ア・ラ・カルト』@青山円形劇場 (2005.12.12)
★映画『SAW2』 (2005.11.08)
★映画『白鯨』 (2005.11.07)
★芝居『ダブリンの鐘つきカビ人間』 (2005.11.02)
★映画『蝋人形の館』 (2005.11.01)
★映画『シン・シティ』 (2005.15.25)
★芝居『胎内』 (2005.10.24)







★映画『THE 有頂天ホテル』(2006.01.30)

『THE 有頂天ホテル』 監督:三谷幸喜 出演:役所広司 、松たか子 、佐藤浩市 2005年・日本映画 136分 観てきましたよ、三谷幸喜監督・脚本の話題作『THE 有頂天ホテル』。金曜の18時25分スタートという微妙な時間にもかかわらず、新宿の劇場はけっこうなお客さんが入ってました。みんな、期待してるんだねぇ。

大晦日のあるホテルを舞台にした一夜のお話。そこには、有能かつ生真面目だけど夢をあきらめた過去を持つ副支配人がいて、夢をあきらめようとしているベルボーイがいて、わけありの客室係がいて、わけありの従業員カップルがいてと、スタッフだけでもかなりおかしなことになっているのだけど、ほかにも汚職政治家とか大物演歌歌手とかパーティを盛り上げる芸人さんたちとかコスプレ姉ちゃんとか、怪しさ満載です。こういったさまざまな人々が、年越しのカウントダウン・パーティに向けて右往左往し、そしてそれぞれのピースがそれぞれに関わり、影響しあって新年を迎えます。

いろんなところでいろんな人がいっているように、なぜこの映画が年末ではなく、年が明けてしばらく経ってからの公開なんだ? ということは、この際おいておきましょう。たしかに年末公開のほうが、より盛り上がっただろうけれど、こういったこちゃこちゃしたお話は、いつ観てもそれなりに楽しめます。

最初のほうに出てくる灰皿のエピソード。こういうの、三谷さんは上手ですね。サービスの仕事に就いている(いたことがある)人は、ここで「おぉっ」っと思って、さらにこういったエピソードを期待してしまうことでしょう。でも、もう出てこない。このあたり、『王様のレストラン』と同じ、ある種のもどかしさを感じてしまいますが、主題が「サービス」のお話ではないので、しかたがありません。

あまりにたくさんの登場人物がいて、それぞれについてはあまり深く追いかけられてはいませんが、このお話はそれぞれの「人」を描くことが重要なのではなく、たくさんの人が物語のピースとなって全体でストーリーをつくっていくという構造なので、人物描写の薄さはあまり気になりませんでした。じっくりとは追われていないけれど、主要登場人物のほとんどが、この夜を機に、少なからず明日へと続くなんらかの第一歩を踏み出すというスタイルになっています。要するにこれがこの映画の主題なのでしょう。だから、このホテルの名前も「ホテル・アヴァンティ(Hotel Avanti)」なのですね。Avantiは「前へ進む」という意味ですから。総支配人と「くねくね」に関してはなんらかのAvantiがあったのかどうかは疑問ですが。

登場人物たちに対する極端なキャラ付けや、冷静に考えればありえないような展開、ご都合主義の部分などもありますが、それをどうこういうタイプのお話ではありません。大晦日という特別な夜に起きた、数々の偶然と必然、そこから生じた人々の想いの変化... そういったものを優しく、あたたかな目でつづっています。

大きなホテルが舞台なわりには意外とこじんまりしたお話で、そこがまた魅力的に感じます。傑作とは思わないけれど、じんわりといい気分になれる楽しい作品でしょう。

(2006.01.30)




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★舞台『新春歌舞伎』(2006.01.23)

浅草で新春歌舞伎を観てきました。これからの歌舞伎界を担う若手役者が中心となって舞台をつくりあげる新春浅草歌舞伎。歌舞伎座で観る、ベテランが主役を張る歌舞伎とは、また違った楽しさがあります。なんといっても若々しい。

昼と夜の1日2公演があるのですが、自分が観たのは昼の部。演目は「鳴神」と「仮名手本忠臣蔵(五段目、六段目)」でした。

「鳴神」は、若い女性の色香にだまされた高僧が怒り狂う、という話でしたが、これ、エロ小説ですね、きっと。こういうのを観ると、歌舞伎が「伝統文化」とか「芸術」なんていう大上段に構えたものじゃなく、大衆娯楽だったんだと実感します。

高僧を演じたのは中村獅童さんですが、彼はうまいのかそれほどでもないのか、よくわからん。以前に歌舞伎座で観たときや、去年の新春浅草歌舞伎のときよりは「歌舞伎っぽい」演技だったかなという気はしますが... 夜にテレビで放送されていた映画『恋人はスナイパー 劇場版』での獅童さんのほうがすっきりと役に入れているような感じがしました。とはいえ、この「鳴神」という演目がおそらく非常に「歌舞伎っぽい」のでしょう。高僧と姫とのやりとり、派手な隈取、最後は片足でたったったったと花道をはけていく(これ、なんというのでしょう?)など、ビジュアル面での「歌舞伎っぽさ」がふんだんに観られて楽しい舞台でした。さすが歌舞伎十八番のうちのひとつ(なんだそうだ)です。

幕間にアナゴづくし弁当を食べたら、次は忠臣蔵です。忠臣蔵の話って、実はほとんど(ぜんぜんに近い)知らないのですが、今年の志の輔落語@PARCOで志の輔さんが忠臣蔵をネタにした新作落語「忠臣ぐらっ」をやったときに枕で聞いた話によると、あだ討ちにいく四十七士の一人一人それぞれにドラマが描かれているのだそうで。で、今回の歌舞伎は四十七士の一人、早野勘平という人のドラマです。

ある町人家の娘婿になり、猟師となって仇討ちの時機を待っていた勘平さん。仇討ち資金にと、ある事情で金を手に入れましたが、そこから義父殺しの嫌疑をかけられ、また勘平さん自身も誤って義父を殺してしまったと思い煩い、かつての仲間の前で腹を切ります。しかし、実はそれは誤解で、義父を殺したのは盗賊、そして手に入れたその金は、もともと義父が、討ち入りの役に立ちたいという勘平さんのために工面してくれたもの。それがわかり、主君のために討ち入りをすると誓った仲間たちの名前が書いてある「連判状」に、勘平さんの名前も書いてもらえることになるのです。しかし、勘平さんはそのまま死んでしまうのです。

つまり、実際に討ち入りにはいけなかったけれど、強い忠誠心を持って討ち入り(の準備)を手伝った人がいたんだよ、っていう話なんでしょう。クライマックスで仲間の浪士が連判状を勘平さんに見せ、「ここに46人の名前が記された連判状がある。ここにおまえの名前も記そう」みたいなことをいうのです。つまり、勘平さんの名前が入って、全部で四十七士。勘平さんは「最後のひとり」だったんです。だけど、討ち入りにはいけなかった。この無念さが観ているものに悲しみとある種の感動を呼ぶのです。いや、呼ぶはずだったのです。なのに、このあとの大切な部分で、仲間の浪士がいいました...

「46人の名前が記された連判状。これに勘平、おまえの名前も加えて、全部で46...」

増えてないじゃん!

残念ながら勘平さんは、あんな思いをして、腹切って内臓つかんで血判まで押したのに、けっきょく数に入れてもらえなかったのです。

いや、たんにセリフを間違っただけだと思うのですが、会場にいた大半の人が「おいっ!」と心の中でつっこんだに違いない。

そんなわけで、今年も楽しい新春浅草歌舞伎でした。

(2006.01.23)




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★映画『恋愛寫眞』 (2006.01.16)

『恋愛寫眞 - Collage of Our Life -』
監督:堤幸彦
出演:広末涼子、松田龍平、小池栄子
2003年・日本映画
111分

テレビ地上波で夜中に放送されたもの。

まったく英語に聴こえない(わざと?)松田龍平の英語に最後までなじめなかったけれど、なんだか「いい映画」でしたわ。広末涼子って、やっぱりかわいいんだということも再認識。

きっと、生真面目につくれば非常に生真面目な青春ラブストーリーにもなったのだろうけれど、そうしてたらきっと、すごく重い話になっちゃったのだろうな。適度にふざけてるというか、壊れているところが、重苦しさを薄めるのに役立っているのだろう。

ストーリーや登場人物の役割配置などに「そうなの?」と、ちょっとした疑問とか都合のよさを感じる部分もあるけれど、物語のベースとなる若い男女の青くて甘くて苦くて切ない想いが、じんわりとした余韻となって残る、なかなか趣のある作品でした。

しかし、劇場公開時から話題になっていた小池栄子の「怪演」は、ほんとうに怪演でした。小池さん、怖いよ。

(2006.01.16)




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★舞台『ア・ラ・カルト』@青山円形劇場


白井晃さんが中心となって毎年上演?されている『ア・ラ・カルト』。以前から1度観たいと思っていたのです。今年で17年目!だそうで、そんなにむかしからやっていたのね。

クリスマス時期のレストラン「ア・ラ・カルト」を舞台に、お店を訪れ、お店で過ごし、そして帰っていく何組かのお客さんと、応対するスタッフたちの姿を描いたショート・ストーリーがオムニバスのようにつづられます。それぞれのストーリーを盛り上げるようにジャズをベースにした生演奏が入り、途中では歌と演奏のショータイムも。

白井さんでレストランといえば、どうしても『王様のレストラン』でのソムリエを、さらにはずっとむかしにやっていた深夜番組『解析料理』などを思い出してしまいますが、あれらのイメージを損なうことのない、やっぱり「濃い」芝居。そして、ショータイムで見せる、ワハハ本舗の梅垣さんか、あるいは魅惑のRolly様かと見まがうような女装のシャンソン・シンガーぶりにビックリ。しかも、衣装から大胆にのぞく背中の美しさにもまたまたビックリ。

白井さん以外のレギュラー出演陣(らしい)、高泉淳子さんと陰山泰さんも、それぞれに個性的かつ魅力的なキャラクターをいくつも演じ分け、それぞれの短い時間に「レストラン」で交差する人間模様を上手に表現してくれます。ちなみにこのお店、レストランとしてはサービスのスタイルがダメダメで、二流以下、三流のサービスなんですが、スタッフが持っている「サービスの心」が垣間見えるのが素敵です。

最初のアペリティフ(のお話)と最後のディジェスティフ(のお話)は「お客さん」が同じで、これまで繰り広げられたさまざまなショート・ストーリー(それぞれに「メイン」「ワイン」「デザート」などといった、料理コースの一部の名称がつけられています)が、レストラン「ア・ラ・カルト」のある1日の風景だったことがわかります。

そう、レストランって、ただ料理を食べる場所じゃない。そこでは食卓をはさんでさまざまな人や想いが行きかい、交錯したりすれ違ったり寄り添ったりする。そういう場所。そうした「レストランの魅力」を存分に感じさせてくれる舞台でした。

それぞれのショート・ストーリーは、どれも味わい深く、愉快で、ほんのり甘くもあり、非常によく練り上げられていると思います。なかでも終盤の、ディジェスティフ(食後酒)の前の「老夫婦のクリスマス」は、とてもよかった。少ないセリフと少ない動きできちんと表現できる。やはりみんな、うまい役者さんたちだな。

芝居と音楽がひとつの舞台のなかで溶け合い、それぞれとして楽しめつつも物語りもつくりあげていく。非常に洗練されたエンタテインメント・ショーでした。来年もまた観たい。ほんと、いいもの観せてもらいました。

ちなみに、途中の休憩時間中にはスポンサーであるキリンからワインのサービスがあったのですが、これがフランジアでがっかり。ステージ上ではもっといいワインの栓が抜かれていたので、あれが飲みたかったなぁ。そういえば料理もワインも、舞台では本物がちゃんと用意されているのはすごい。ワインなんて芝居上ではほとんど飲まないのに、毎回新しいボトルを開けてます。あれ、終演後にみんなで飲むのだろうか。うぅ、やっぱりフランジアよりあっちを飲みたい。

てなわけで、終演後は駅までの道の途中に見つけたビストロで、ロワールの白ワインを飲んで、ウサギやえぞ鹿の料理を食べてしまいました。美味しかった。楽しい1日でしたわ。

(2005.12.12)




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★映画『SAW2』 (2005.11.08)

『ソウ2 (SAW II)』
監督:ダーレン・リン・バウズマン(Darren Lynn Bousman)
出演:ドニー・ウォールバーグ(Donnie Wahlberg)、ショウニー・スミス(Shawnee Smith)、トビン・ベル(Tobin Bell)
2005年・アメリカ映画
100分

前作『SAW』のヒットから1年足らずで続編をつくりあげるなんて。このフットワークのよさをうちの会社も見習いたいものだ... いや、それはどうでもいいのですけれど。

観てきましたよ、『SAW2』。前作ではすっかり簡単にころっとだまされた自分でした。実行犯の特定(推測)までは早い段階でできてたのだけど、犯行を計画した真犯人がまさかあんなところにいるあの人だったなんてことは気がつかなかったぁ。密室での緊迫した感じやゲームに勝つ=生き残るための「答え」も、いやぁ〜な感じ満載のスリリングな映画だった。かなり楽しんで観たのですよ、前作は。

さて、続編です。う〜ん、ちょっとテイストが変わりましたね。脳みそ飛び散ったり、釘だらけのバットが頭に刺さったりと、痛いシーン、えぐいシーンは満載ですが、前作ほどの緊迫感や、恐怖のなかでの知的ゲーム感は薄れちゃった感じ。

もちろん、観終わってみれば、本当の意味でゲームをしてたのは監禁された8人ではなく、刑事とじいちゃん、もっといえば姉ちゃんと刑事であって、あの8人には実はあまり意味がないというか、彼ら自身がゲームの「コマ」であって、実はプレイヤーとしての立場はほとんど与えられていなかったというどんでん返しというか、構造上のトリックというか、そういった引っ掛けに今回もまんまとだまされてしまった自分のバカヤローとかは思いますし、そのあたりが「SAW」的で、うまいなぁとも思います。

でもねぇ、映し出されるシーンのほとんどが「コマ」であるあいつらなわけじゃないですか。できればもっと「コマ」たちのあいだの緊張感・緊迫感がほしかったし、「コマ」であってももっと知力が試される、知力を発揮する展開がほしかった。知力フル稼働したあいつらを「コマ」扱いしてしまうジグソウ、と思ったらそのうしろには2代目ジグソウ、くらいの重層構造があって観てる側は頭の中が大混乱、くらいのお話になってたら、もっとおもしろかっただろうと思うのだけど、「コマ」のほとんどが知力放棄してる連中ばかりなのが残念。もっとね、「コマ」の連中と一緒になって「答え」探しをしたかったよ。

モニターのトリックについては、けっこう早い段階で気づいた。少なくとも発信源は別だろうくらいのことはすぐにわかる。しかし、金庫から子供が出てきたときには「あぁ、やられたぁ」と思いましたわ。大事なのは「ルールを守る」こと。最初からじいちゃんはそういってたのに。ルールさえ守れば、息子は助かるって。くそぉ。

しかし、前作でも思ったのだけど、犯行の動機が弱いよなぁ。命を大切にしない者は、生きるに値しない。これはこれでいい(社会風潮的にはかなり危険だけど)として、初代ジグソウはこの考えに取り憑かれたある種の狂信者(精神的に異常や病的とは言い切れない人でも、こういった考えに取り憑かれるケースはあるからね。ある種の宗教とか)と考えて納得がいくのだけど、2代目ジグソウが同様の考えを強固な信念として持つに至る過程と理由が、あれだけでは弱いと思うのだよなぁ。こういった「信念」って、ある程度の時間をかけて徐々に蓄積し強固になっていくものだと思うのだけど。

などと、なんとなく納得できないところや、充分に楽しみきれなかった部分もあるにはあるのだけど、全体としては満足いく内容でした。あの終わりかただと『SAW3』もありそうな感じだけど、次回はぜひ被害者たちにもっと知力フル稼働で答え探しをしてほしいです。

(2005.11.08)




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★映画『白鯨』

『白鯨 (MOBY DICK)』
監督:ジョン・ヒューストン(John Huston)
出演:グレゴリー・ペック(Gregory Peck)、レオ・ゲン(Leo Genn)、リチャード・ベースハート(Richard Basehart)
1956年・アメリカ映画
158分

ビデオでグレゴリー・ペック主演の古い映画『白鯨』を観たのですよ。これ、原作本をいつか読みたいと思いながらもずっと読めずにいるお話で、ストーリーとか知らなかったのですけれど、もしかしてすごく宗教的というか、キリスト教的な内容なのかしら。

巨大な白クジラに足を食いちぎられた船長が、白クジラへの復讐に執念を燃やす、というのがお話のベースなのだけど、その船長の名前がエイハブ。そしてエイハブ船長の船に乗り、一緒に白クジラを追い、しかし白クジラの逆襲にあい全乗組員が死んだなかで唯一生き残り、白クジラとエイハブ船長の物語の語り部となった船員の名前がイシュマエル。そのイシュマエルがエイハブ船長の船に乗り込む直前に、白クジラの出現とエイハブ船長の死、そして死した船長がふたたび浮かび上がったときに一人を除いてすべての船員が死ぬ、という予言をイシュマエルに与えたのがイライジャという浮浪者(?)。

エイハブ。イシュマエル。イライジャ。これって旧約聖書に出てくる、イスラエルに異教の神を大量に持ち込んでヤハウェの怒りを買ったイスラエル王のアハブ、アブラハムの最初の子供でアラブ人の先祖になったといわれるイシュマエル、アハブ王が持ち込んだ異郷の神とその信者と戦い滅ぼした預言者エリヤですよね、きっと。

白は「神聖」であることを象徴することが多い色に思えます。白くて、巨大で、これまでに多くのクジラとりたちが挑んだけれど一度も勝てずにいるクジラ。これはヤハウェの象徴?

強大な神に挑むエイハブと、彼の破滅を予言するイライジャ、そしてエイハブの無謀な挑戦と破滅を語り伝える任を背負ったイシュマエル。それぞれが、旧約聖書の登場人物と似た役割を持たされてるんだな。

なかなか重層的なお話のようです。映画では2時間程度でけっこうあっさりと話が進んじゃっているけれど、原作はきっともっといろいろな暗示や伏線があるのでしょう。自分は聖書の知識があまりないので、それらの暗示がわからないだろうけど、でもやっぱり本を読んでみたい。そう思いましたわ。

(2005.11.07)




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★芝居『ダブリンの鐘つきカビ人間』

見たぞ 見たぞ
紙人形が 見ぃつけた
ぼくらの教会 見ぃつけた

うぅ(涙。この芝居を観た人しかわからない)

渋谷のPARCO劇場での初演、見損ねているのですよ。観たかったのだけどなぁ。『人間風車』も見逃した。

そんなわけで、ル・テアトル銀座での再演が観られて、本当によかったです。これまでにも後藤ひろひと&G2の舞台はいくつか観ているけれど、自分が観たことのあるもののなかでは『ダブリンの鐘つきカビ人間』がベストですね。

なんといっても、大枠のストーリーが非常にはっきり・きっちりしているのね。どこで、なにが起きて、どうなったという、軸となる物語にぶれがなく、この物語自体でちゃんと起伏のあるドラマティックな構成になっているうえで、それぞれのシーンやその合間にお遊びのセリフや場面が入っている。だから、お遊びシーンに話が引きずられてとっちらかってしまうことなく、笑うところでは笑っても、ちゃんと元の物語にすっと戻っていける。これはなかなかすごい脚本ですね。

中途半端な脚本だと、こうはいかない。お遊びシーンだけがなんだか浮いてしまい、そこだけが楽しかったみたいになってしまったなんてこと、よくあります。せっかくの物語を、無理やり入れた「笑わせるシーン」がぶち壊してしまったりとか。中小の劇団だと、そもそも物語自体を見せる構成力がなかったりというところもありますし。

やはり、大王さま(後藤さん)はすごいな。役者としてもかなりキャラが濃いけれど、脚本作家としての才能を感じます。

この芝居、初演では水野真紀に大倉孝二、長塚圭史、遠藤久美子と、なかなかな有名人が出演し、それもあって「観たい」と思ったのですよ。エンクミちゃん、けっこう好きだし(←ミーハー)。今回の再演にあたっては、水野さんが演じた「おさえ」の役を中越典子さん(地味)、大倉さん演じた「カビ人間」をラーメンズの片桐仁さん(お笑いの片割れかよ)、長塚さんと遠藤さんが演じた「森で迷ったカップル」を土屋アンナさん(NHKテレビ「イタリア語会話」歴代女性アシスタントのなかで最低!『下妻物語』はおもしろかったけど)と姜暢雄さん(誰?)というキャスティングで、正直「だいじょうぶか?」という心配もあったのですが、みなさん、いい感じでした。ちゃんと「おさえ」の気持ちも「カビ人間」の気持ちも伝わってきた。しかし、キャラ的には後藤ひろひとさんと山内圭哉さんがおいしいところ、みんなもってってたなぁ。

途中で、山内さん演じる神父が教会でミサを開くシーンがあるのですが、ここがなんとなくミュージカル仕立てなのです。そして、そのシーンで演奏される音楽や舞台の雰囲気が、なんだかとっても筋肉少女帯みたいなのです。そのシーン以降、どうも筋肉少女帯の印象が残ってしまい、そのうちにカビ人間がどんどん大槻ケンヂさんに見えてきてしまい、いっそのことオーケンがカビ人間をやったらどうだったんだろう、音楽も全盛期の筋少がやってたらどうだったかななどと、どうでもいいことばかり考えてしまったりしたのですが、それ以外の場面での曲にはアイリッシュ・トラッドを思わせる哀愁に満ちたものや、古い日本のポップスを思い出させるようなノスタルジックな曲もあり、どことも知れない、いつかもわからない、あやしい童話のような世界に非常にあっていました。

そして、最後も、そうきますか。なるほどね。きちんと笑わせ、泣かせ、哀しませ、怖がらせ、切なさとやるせなさが余韻に残るような終わり方でした。うん、おもしろかった。

しかし、後半のほうにある「火をつけたのは誰だ?」から「カビ人間は悪魔だ」へと町の住人たちが叫ぶセリフが徐々に変化していくシーン、怖かったですね。こうやって妄言が流布し蔓延し、誤った判断がくだされ誤った行動が起こされるのでしょう、いまでもいろいろなところで。

見たぞ 見たぞ
カビ人間が 火ぃつけた
ぼくらの教会 火ぃつけた

うぅ(芝居を観た人だけ泣いてください)。

(2005.11.02)




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★映画『蝋人形の館』

『蝋人形の館 (HOUSE OF WAX)』
監督:ジャウム・コレット=セラ(Jaume Collet-Serra)
出演:エリシャ・カスバート(Elisha Cuthbert)、チャド・マイケル・マーレイ(Chad Michael Murray)、ブライアン・ヴァン・ホルト(Brian Van Holt)
2005年・アメリカ映画
113分

お前も蝋人形にしてやろうかーっ!

という雄たけびが日本の茶の間(←死後?)をにぎわしたのは、何年前のことだったでしょうか。この映画はもちろん、二十数年前に早稲田大学の音楽サークルから地球征服計画を始めた悪魔たち「聖飢魔II」とは、なんの関係もありません。

フットボールの試合を観にいく途中で道に迷った男4人・女2人のアメリカ人学生たち。夜明かしキャンプに選んだ森の奥からただよう死臭。クルマに轢かれて死んだ動物たちの廃棄所とそれを捨てにくる廃棄人。人気の感じられない寂れた町。教会で行なわれている誰かの葬式。そして、町外れにある蝋人形館。もう、これでもかってくらいにお膳立てがそろってます。

ストーリーは、あいかわらずといえばあいかわらず。学生たちが殺人鬼に襲われて、蝋人形にされて、何人かは魔の手を逃れて生き残る。今回はふたりが生き残りましたが、このふたりが、ただ殺人鬼から逃げ回るだけでなく、他の友人を助け出すため、そして兄弟を守るために、殺人鬼に立ち向かっていくのがいいですね。

殺人鬼はもともと顔の部分が結合して生まれてきた奇形の双子(シャム双生児)を切り離したふたりで、彼らと戦い、生き延びたふたりも双子の兄と妹(ということは二卵性の双子やね)。この映画は、兄弟対兄弟、双子対双子の戦いだったのです。だからどうだ?といわれれば、どうなんだという感じもしますが、古の時代は「双子」=「よくない印」だったこともあり(そのため、生まれた時点で片方を殺した、あるいはすぐに片方を里子に出し、双子の兄弟が出会わないように画策したり)、そのあたりの古い信仰なども引きずっているというか、想起させようとしているのかもしれません。

ストーリー的にはこれといってビックリするようなことのない、ごく素直なものだと思うのですが、蝋人形のつやつやとした、しかし精気のない質感は異様で、グロテスクかつ美しい。町の住人すべてが蝋人形というのも、冷静に考えれば滑稽な感じもするのですが(とくに窓辺でカーテンを開けて外をのぞくばぁさん人形)、映画の世界に身をゆだねているあいだはひたすら不気味に感じられます。

そして圧巻は、やはり映画のタイトルとなっている「蝋人形の館」、というか、蝋の館(映画の原題も『House of Wax』ですし)。外壁、内装、階段その他の建物自体から調度品にいたるまで、すべてが蝋でつくられているこの建物。映画の前半で被害者たちが初めてこの館を訪ね、すべてが蝋でできていると気づいたときに、いったいどうやってつくったんだよとか思わず突っ込みを入れてしまいましたが、これがクライマックスでみごとな地獄絵図を見せてくれるのです。地下の蝋人形製作所から出荷した火が地獄の業火となって館を包み、溶かし、焼き尽くす様は圧巻です。その最中のどろどろとした蝋のうえで繰り広げられる殺人鬼との戦いや、焼け落ちていく館からの脱出劇なども、なかなかの迫力。うん。ここを観るだけでも、なんとなく劇場で観てよかったと思います。

また、こういった学生系ホラー?では、やはり残酷な殺害シーンが見どころ。今回も、いろいろやってくれました。6人の学生のうちふたりが生き残るということは、4人しか殺されないわけで、猟奇大量殺人を期待するとちょっと肩透かしかもしれません。それでも、ひとりは巨大なナイフ2本で首を切り落とされ、ひとりはナイフで首をひと突き(しかもそのまま地面にナイフで留められてるみたいな形。『サスペリア II (赤い深遠)』でイモリの首をピンで刺して地面に固定していた女の子を思い出しました)。古い鉄パイプが頭を貫通する人もいたし、聖飢魔IIの歌のごとく生きたまま蝋人形にされた人も。

それぞれがどれも「イタタタ」って感じなのですが、個人的にいちばん「イタッ」と思ったのは、最初の被害者である男の子がアキレス腱をナイフでスパッと切られるところ。これはいたそう。『ペット・セメタリー』で生き返ったゲイジがジャドおじさんのアキレス腱をメスで切るシーンを思い出しました。そして、もうひとつ。けっきょく最後まで生き残りましたが、女の子が指先をニッパーで切り落とされるシーン。首が切り落とされるとか鉄パイプが頭に刺さるといった派手なシーンよりも、こういった小さなシーンのほうが痛い感じが自分はします。うぅ、えぐえぐ。

うん。なかなかおもしろかったですよ。何度も観ようとは思わないけれど、夜中にテレビとかで放映されたらまた観てしまうでしょう。

それと、エンドロールの最初のほうでかかっていたヘヴィ・メタル。あれ、だれのなんていう曲だろう? えらくメロディアス&ドラマティックで、思わず感動してしまいました。スタッフロールで確認しようと思ったのだけど、読みきれなかった(←マイ・ケミカル・ロマンスというグループの「スウィート・リベンジ」という曲らしい)。

(2005.11.01)




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★映画『シン・シティ』

『シン・シティ (SIN CITY)』
監督:フランク・ミラー(Frank Miller)、ロバート・ロドリゲス(Robert Rodriguez)、クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)
出演:ブルース・ウィリス(Bruce Willis)、ミッキー・ローク(Mickey Rourke)、クライヴ・オーウェン(Clive Owen)
2005年・アメリカ映画
124分

映画『シン・シティ』を観てきました。

ハード・ヴァイオレンス・バット・スタイリッシュな映画ということで、一部でずいぶん話題のようですね。実際、えぐいシーンがこれでもかと出てくるけれど、そのシーンの映像自体はめちゃスタイリッシュでカッコイイという、これまでにあまり観たことのない感覚の映画でした。

アメリカのどこかにある、汚職と欲望と暴力に満ち溢れた架空の町シン・シティを舞台に、3つのお話+αがオムニバス形式で展開されます。これらの話は、舞台がシン・シティであること、時期がおおよそ同じころであることから、それぞれの登場人物が別のお話の画面にちょろっと映りこむことはありますが、それぞれの話自体は独立しています。

自分、こういったオムニバス形式の映画って、そういえばあんまり好きじゃなかったってことを、あとで思い出しました。どうも、映画を観たというよりは、単発のテレビドラマを3つ続けて見たような、あるいは『夜にも奇妙な物語』とかを見たときのような、軽い感じを受けちゃうことが多いんですよね。映画全体としてのテーマがよくわからないものもたまにあるし。物語の重みとか深さとかを感じられないというか。

この映画も、2時間の中に3話+αも詰め込むのではなく、1時間半くらいでひとつの話をじっくりと見せてもらったほうがよかったなぁと思ってしまいます。とくにブルース・ウィリスが主役の話は、もっともっと深みと厚みのあるものになると思うのだけど。悪徳の町シン・シティに生きる「最後の正義」が60歳を越えた老刑事というのは、なかなかハード・ボイルドな渋い設定だと思いますし、演じるブルースもいい味を出してたし。

それぞれの話自体のつながりはあまりないけれど、そこで起きる事件の元凶をたぐるとロアークという権力者ファミリーにつながるという共通項があり(第2話はそうではなかったかしら)、うそと金と暴力にまみれた町でひたむきな愛のために戦う孤独な戦士を主役に置くというスタイルを通すことで、映画全体としてのある種の統一感と方向性を演出しています。

町の権力者であり、すべての悪と暴力と汚職の元凶でもあるロアーク議員が「この世でもっとも強いものは“うその力”だ。うそこそが世の中を動かす」というようなことをいったり、シン・シティの住人(だったか?)が「アメリカほどいい国はないぜ」などといっていたりするなかに、現代アメリカのおごった姿への皮肉と批判を見る、そして、どんなに世の中が悪にまみれ暴力にうもれ汚職がはびころうとも“愛”だけは死なない、“愛”のみがそれらの邪悪な力に立ち向かいうる力なのだ、というのがこの映画のテーマだ、というようにも考えられるのだけど、でもけっきょくマーブ(ミッキー・ローク)もハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)も死んじゃったのですよね。悪の根源は、愛の力では根絶できないのですよ。という皮肉も含んでるのかな?

そんなわけで、おもしろいといえばおもしろいのだけど、だからどうだといえばだからどうなのという感じでもあり、単純に雰囲気を楽しむ映画かなぁという気がします。ノワールでハード・ボイルドなアメリカン・コミックをそのまま「動く絵」にしただけで、「映画」を観たという印象は残りませんでした。

ほとんどのシーンがモノクロで、衣装や小物や血など映像の一部のみに鮮烈な赤や黄色といった配色を施すという表現方法はかっこよくはあるけれど、また、それゆえに残酷シーンがそれほどスプラッタにならずに観られるという人もいるけれど、自分としては全編フルカラーの飛び散る血液や脳みそなどで吐き気をもよおしながらそれでも観る、というほうがよかったかなぁとも思います。

しかし、キャスティングは非常によかったですね。ミッキー・ロークはすごいメイクのためにぜんぜんわからなかったけど、ブルース・ウィリスもベニチオ・デル・トロもすごくぴったり。そして驚愕の!イライジャ・ウッド。キャスティングした人、すごいや。ジョシュ・ハートネットの役回りがなんだか中途半端でしたが、これは続編への複線?

(2005.10.25)




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★芝居『胎内』

芝居『胎内』を観てきました

青山円形劇場って、初めていったのですが、本当に舞台が円形なんですね。こんなステージで芝居するの、脚本つくる人も演じる役者さんも大変だろうな。常にお客の誰かが役者さんの背中を観ているわけですから。

というわけで、観てきました。『胎内』。奥菜恵、長塚圭史、伊達暁による3人芝居です。阿佐ヶ谷スパイダースの舞台は何度か観ているので、生の長塚さんも何度か観ているのですが、奥菜さんを生で観るのは初めてです。それがとても楽しみ。彼女、けっこう舞台での評判がいいですからね。伊藤さんってのは、誰だ?

んで、観終わりました。

う〜む。演劇というよりも、朗読劇を聞きにいったような感じです。登場人物の3人とも、大量のセリフをしゃべります。戦時中に掘られた洞窟(防空壕)の中に閉じ込められたという設定ですから、舞台も常時薄暗く、ときどき登場人物同士のケンカの際に動きがあるくらいで、それ以外はとくに身振り手振りの演技があるというわけでもなく、ずっとなにやらグダグダとしゃべり続けてます。

なのに、伊藤さんのセリフは早口なうえあまり明瞭ではなく、なにをいってるんだかよくわからない。舞台となっている時代が戦後すぐということで、セリフもところどころレトロ調?なのだけど、その言葉遣いに若い役者3人がうまくなじみきっていない。とくに奥菜さん演じる村子という女性のセリフは、古い言葉遣いと新しい言葉遣いが入り混じり、ちょっと気取った上流お嬢様風の言葉遣いと野卑な売春婦風の言葉遣いが入り乱れ、なんだか気持ちが悪いのです。非常に丁寧な「ですから」に小娘風の「さぁ〜」がついた「ですからさぁ〜」(これを「だからさぁ〜」風にいう)のとか、なんだかむずむずしちゃいます。奥菜さん、発声自体は非常に明瞭でしっかりしており(3人のなかでもっともきちんとセリフが聞き取れた)、感情もうまいこと乗せていたのですが、明瞭な分、元のセリフ自体の気持ち悪さが耳についてしまいました。

そんでもって、やたらと観念的で、なんだか落としどころのない物語。もともと原作は古い作品のようですが、古い作品なんだなってのが強く感じられました。『美しきものの伝説』とかと似た匂いを感じる。こういうの、自分はちょっと苦手かもしれません。

そんなわけでして、観終わっての感想。まずは一緒に観にいった妻から。

「なんでもいいから、誰か早く彼らをあそこから出してやれよ」

そして自分。

「奥菜恵ははっきりした顔だなぁ。綺麗だ」

こんなんで、すみません。

(2005.10.24)




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