CLAUDIO BAGLIONI


biography

   クラウディオ・バッリォーニ/バイオグラフィ







 Claudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)は1951年、ローマで生まれました。

 1964年にPaul Anka(ポール・アンカ)の「Ogni volta」でチェントチェッレ新人コンテスト(Concorso di voci nuovidi Centocelle)に参加しましたが、このときは入賞を逃しました。しかし翌65年に再度出場し、Gene Pitney(ジーン・ピトニー)の「I miei anni piu' belli」を歌って優勝しました。
 この年に父親からギターをプレゼントされたClaudioは、音楽への想いを強くしました。

 1967年、RCAレーベルのオーディションを受けましたが、残念ながら契約には至りませんでした。そこで、翌68年にはRicordiレーベルのオーディションを受けました。このときには、のちにデヴュー・アルバムに収録され、1990年ごろまでライブで歌われていた「Signora Lia」や「Interludio」といった楽曲を持っていきましたが、やはり契約はなりませんでした。
 しかし、あきらめなかったClaudioは1969年、再度RCAのオーディションを受け、ついに5年間の契約を手に入れました。

 1970年リリースの『Claudio Baglioni』、1971年リリースの『Un Cantastorie dei Giorni Nostri』はそれほど大きな注目を集めませんでしたが、1972年にリリースされた『Questo Piccolo Grande Amore』は発売後すぐにチャートのトップを飾る大ヒットとなりました。
 この年に、デヴューしたばかりのカンタウトーレ、Riccardo Cocciante(リッカルド・コッチャンテ)とともに、RCAレーベルのプロモーションツアーに出たのをきっかけに、Claudioの名前と歌は広く知れ渡るようになりました。

 1973年の冬に、グリーク・プログレッシヴ・ロックの傑作と名高いアルバム『666』をリリースし解散したばかりのAphrodite's Child(アフロディテス・チャイルド)のメンバーであり、のちにRick Wakeman(リック・ウェイクマン)脱退後の新メンバーとしてブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・グループ、Yes(イエス)への参加が噂されたギリシャ人キーボーディスト、Vangelis(ヴァンゲリス)と出会いました。これが縁で、1974年にリリースされた『E Tu...』のアレンジをVangelisが担当することになりました。

 『E Tu...』はリリース後すぐに50万枚を売り上げるヒット作になりました。また、この年のフェスティヴァルバール(Festivalbar)でタイトル曲の「E tu...」が優勝し、アルバムはゴールデン・レコード賞を獲得しました。
 このころには、南アメリカでもClaudioのアルバムがチャートのトップを飾るようになっていました。

 1975年にリリースされた『Sabato Pomeriggio』は、映画音楽界で高い評価を受け、1971年にNew Trolls(ニュー・トロルス)のアルバム『Concerto Grosso』でクラシックとロックの融合に成功しポピュラー・ミュージック界でも注目を浴びた作曲家、Luis Enriques Bacalov(ルイス・エンリケス・バカロフ)のアレンジで制作されました。このアルバムはスペインでも大ヒットしました。
 また、南アメリカでの人気が高かったClaudioは、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、ペルー、メキシコへと、約2か月に及ぶツアーに出かけました。
 ツアーから戻ってきたClaudioはフェスティヴァルバールにゲスト出演し、アルバム収録曲のなかから、のちにNew Trollsもカバーするなど人気の高い「Poster」を歌いました。

 1977年リリースのアルバム『Solo』を最後にRCAとの契約が切れたClaudioは、新天地を求めCBSレコードと契約を結びました。そして1978年にCBSからの最初のアルバム『E Tu Come Stai?』がリリースされました。
 このアルバムは、それまでの彼の音楽とはずいぶんスタイルが変わり、ポップで軽やかな面が強調されていました。以後、Claudioはポップ・スターとして、第2の成功への階段を上り始めました。
 また、このアルバムは、フランス語ヴァージョン、スペイン語ヴァージョンも録音されました。

 1982年5月、妻のPaola Massari(パオラ・マッサーリ)との間に待望の息子、Giovanni(ジョヴァンニ)が生まれました。長男の誕生を非常に喜んだClaudioは、生まれてくるはじめての子供のことを歌った「Avrai」を作曲し、Giovanniに捧げました。
 この曲はのちに、Anna Oxa(アンナ・オクサ)によってカヴァーされました。

 1985年1月、ファンタスティコの審査員により、1972年のClaudioの大ヒット曲「Questo piccolo grande amore」が満場一致で「今世紀の音楽(Song of the Century)」に選ばれました。
 同年2月に行なわれたサンレモ音楽祭では、参加できるのは未発表曲のみという音楽祭のルールをはじめて破って、Claudioは「Questo piccolo grande amore」をピアノ演奏しました。

 1970年代は、ほぼ毎年1作ずつアルバムをリリースしていたClaudioですが、80年代以降は、オリジナル・スタジオ作品はおよそ5年ごと、そしてスタジオ作品の翌年か翌々年にライヴ盤というローテーションになってきています。スタジオ作品のリリース期間がずいぶん長くなってしまいましたが、その分、充分に練り上げられた、密度の濃い作品を必ず作り上げてくれます。
 RCAレーベルのころの若さと切なさがたっぷりな作品群も心をつかみ離しませんが、CBS以後のポップながらも洗練された奥行きの深さを感じさせる作品群のクオリティの高さも見事です。

 20世紀を代表するといえるイタリア最高のカンタウトーレ、Claudio Baglioni。1999年末にリリースされた『Viaggiatore Sulla Coda del Tempo』は、まさに20世紀を締めくくるような、これまでの彼の音楽の集大成とも呼べるような作品でした。このアルバムで過去の自分の音楽に、ひと区切りをつけたともいえるでしょう。
 21世紀のClaudio Baglioniは、どのような音楽を聴かせてくれるでしょうか。どんなものであれ、それはきっと素晴らしい音楽に間違いありません。そう期待させられる、そしてそれを信じられるのが、Claudio Baglioniというカンタウトーレの素晴らしさです。

(2000.05.03)








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