CLAUDIO BAGLIONI


VIAGGIATORE SULLA CODA DEL TEMPO (1999年)

   クラウディオ・バッリォーニ / ヴィアッジァトーレ・スッラ・コーダ・デル・テンポ
    (COLUMBIA / SONY MUSIC ENTERTANINMENT COL 495070 2 / イタリア盤CD)



jacket photo   1: HANGAR
  2: UN MONDO A FORMA DI TE
  3: SI IO SARO
  4: STAI SU
  5: CARAVAN
  6: MAL D'UNIVERSO
  7: CHI C'E' IN ASCOLTO
  8: OPERE E OMISSIONI
  9: QUNATO TEMPO HO
 10: A DOMANI
 11: CUORE DI ALIANTE
 12: A CLA'


un progetto di CLAUDIO BAGLIONI

arrangiamenti e produzioni: Paolo Gianolio, Corrado Rustici

Corrado Rustici: chitarre, tastiere, programmazioni
Benny Rietveld: basso
Steve Smith: batteria
Luciano Luisi: piano, syn
Luca Rustici: programmazioni
Paolo Gianolio: chitarre, basso, tastiere, programmazioni
Gavin Harrison: batteria
Claudio Baglioni: piano, tastiere
Lola Feghaly: cori
Moreno Ferrara: cori
Antonella Pepe: cori
Silvio Pozzoli: cori

orchestrazioni di Paolo Gianolio







 1995年の『Io Sono Qui』以来、ひさしぶりのオリジナル・スタジオ作品となるこのアルバムは、1900年代を締めくくるにふさわしい、力の入った作品となっています。
 表面的にはデジタル・ロック的な音触や、ハウス的であったりオリエンタルなエキゾティシズムを感じさせるアレンジなど、80年代以降のいろいろな音楽のエッセンスを吸収したことをうかがわせるものになっていますが、ベースとなっているメロディと唄は、まぎれもなく彼のものです。シンガー/コンポーザーとしての彼を愛しているファンなら、間違いなく楽しめるはずです。

 1980年代以降のClaudioは、彼らしさは残しながらも、楽曲的にはさわやかなポップスであることを追い求めてきたように思います。それが多くの音楽ファンに認められ、ポップ・スターとしての高い地位を手に入れたのでしょうが、その過程で失ったもの、もしくは意識的に封印したものもあったのではないでしょうか。
 もちろんClaudioのことですから、そこにセールス的な打算はないと信じています。それに、80年代以降の作品もそれぞれに素晴らしく、彼の持つ才能と音楽に対する愛情を感じるには充分です。
 しかしそこには、アーティストとして、また、ひとりの人間として、Claudioが成熟するなかで得たものだけでなく、それによって薄れてしまったものもあったと感じてしまうのです。

 たとえば、声の張り。

 80年代以降の作品では、彼の声自体が持つ広がりや奥行きは失われていませんが、張りや力強さ、太さは明らかに低下しています。それは、年齢を重ねることで必然的におとずれる身体上の変化なので、ある意味、しかたのないことです。ハードロック界のスーパー・ヴォーカリスト、Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン)のRobert Plant(ロバート・プラント)だって、アルバムを出すごとに明らかに声が細くなっていったのですから。
 それにもかかわらず、それ以前と同じように高音を出そうとしたために、結果としてヴォーカルに張りと強さがなくなってしまった部分も少なくないはずです。

 しかし、張りと強さがなくなったことがかえって、80年代以降の作風には合っていたともいえます。70年代のような、強烈な感情を直接、聴き手に投げかけるようなヴォーカルでは、ポップ・スターとしては重すぎたかもしれません。その点では、意図的か否かにかかわらず、ヴォーカルの肌触りの変化は、彼が成功する過程で必要なことだったとも考えられます。
 それでも、70年代の彼のヴォーカルに心動かされた自分には、ヴォーカルの細さはやはり残念に感じられました。

 しかし、このアルバムでは、若き日と同じとはいいませんが、張りと力強さが戻っているんです。無理に高音を多用するような曲づくりをやめ、深さと力強さのある彼のヴォーカルが堪能できる、現在の彼のヴォーカルの素晴らしさを充分に引き出すような曲づくりが行なわれています。

 また楽曲面でも、80年代以降に追求してきたポップな面は残しつつも、スケール感も感じられる作品になっています。
 彼はもともとスケール感のある曲を書くアーティストで、70年代の作品には独特の重厚さと広がりがありましたが、ポップな作風を追求するなかで、そのスケール感はロマンティシズムやセンチメンタリズムに取り込まれてしまったところもありました。でもこのアルバムでは、深い奥行きとドラマを持った、重みのあるスケール感が戻ってきています。

 もちろん、70年代のように、若者の愛と青春を背負ったドラマとスケール感ではなく、成熟した大人の、これまでの生き方、人生を背負ったドラマとスケール感といえます。その点では、たんなるポップ・ミュージックの枠を超えて、広く世界と人類に、この世のすべての生物に、そして、いま生きていることに限りない愛情を注いでいるように感じるのです。
 たとえば以前に聴かれたスケール感が、夕暮れのローマの街のすみずみにまで染み渡るような広がりだとすれば、このアルバムでのスケール感は、地球を超えて、宇宙全体に響き渡るような広がりといえます。

 遠く宇宙の果てまでをも包み込んでしまうようなスケール感。こういった感覚は、最近の彼の作品には珍しいのではないでしょうか。80年代、90年代を通り抜けてきて、Claudio自身も年齢を重ねたし、世の中の音楽スタイルや楽器の変化など、さまざまな要因が彼のなかで消化された結果が、今回の作品なんでしょう。

 アルバム・タイトルは「時の終わりの旅人」とでも訳せばいいのでしょうか。思索的なタイトルです。そして、タイトルのイメージそのままの落ち着きと美しい旋律に彩られた、終わりゆく1900年代とそこに生きてきた人々への愛情を感じる作品です。同時に、新しく来る2000年代を迎える作品としてふさわしい質感を持ったアルバムといえるでしょう。
 Claudioの音楽が新しい段階に入ったことを感じさせるに充分なクオリティを持った作品です。

 ただ、なんとなくこの作品が、彼の最終作になってしまうような印象を受けてしまうのは、自分だけでしょうか。
 もちろん、どこにもそんな情報のかけらもないですし、きっと2000年はこのアルバムを中心にしたライヴをやって、ここ10年ほどの傾向でいえば2000年の暮れか2001年あたりにライヴ盤を出すのかなとも思いますが、なぜか自分には、このアルバムが、自分たちに別れを告げているように感じてしまうんです。自分は歌詞が読めないので、あくまでも音の印象だけですが。
 1900年代最後のアルバムということで、過ぎ行く1900年代に別れを告げるという気持ちが込められているのかもしれません。それが、なんとなく自分が別れを告げられているように感じてしまうのかな。

(2000.01.10)








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