Fiorella Mannoia(フィオレッラ・マンノイア)は有名カンタウトーレたちの曲を積極的に歌うシンガーらしく、あまり女性ヴォーカルものを聴かないようなカンタウトーレのファンの間でも、けっこう人気があるのだそうです。このアルバムでもIvano Fossati(イヴァーノ・フォッサーティ)、Enrico Ruggiero(エンリコ・ルッジェーロ)、Riccardo Cocciante(リッカルド・コッチャンテ)、Rosalino Cellamare(ロザリーノ・チェッラマーレ)の曲を歌っています。
基本的に女性シンガーが苦手な自分ですが、このアルバムを聴くかぎりでは、あまり女性ヴォーカルものを聴かないカンタウトーレ・ファンにも人気があるといわれるのが納得できるように思います。もちろん、カンタウトーレたちの曲を積極的に歌っているからというのもあるでしょうが、それ以上に声、歌い方に、いわゆる女性ヴォーカルものとは違う味わいがあるからです。
自分が女性ヴォーカルが苦手なのは、多くの女性ヴォーカリストが次のいずれかに当てはまるからです。つまり、(1)単純に歌がヘタ、(2)うまいけれど、やたらと強迫的、もしくは自意識過剰、(3)金属的な声が耳ざわり、(4)歌に表情がない、あるいは過剰に表情をつけすぎ、(5)媚びた歌い方、甘えた歌い方、あるいはエロティックな歌い方が気持ち悪い──などです。こういった歌い方が自分はとても苦手で、ときに不快にすら感じます。
しかしFiorellaの歌には、これらの要素が見当たりません。
最初の印象は地味で淡白なため、歌の表情がつかみにくいのですが、低く落ち着いた歌声はとても味わい深く、聴くごとに表情が見えてきます。それも、強迫系、自意識過剰系のヴォーカリストにありがちな「私の歌を聴いて! 私の表情を見て!!」と聴き手に歌い手の意識を押し付けるのではなく、聴き手のなかにある意識、想いをそっと引き出して曲の表情に投影させるような、そんなヴォーカルなのです。
こういったあたりが、ある意味で男性カンタウトーレ的なのではないかなと感じます。また、声の感じや肌触りに、ちょっとAlice(アリーチェ)に似たところがあるかもしれません(音楽のタイプは違いますが)。
Ivano、Enricoといった、あまり派手ではないけれど趣きのある良いメロディを書くカンタウトーレの歌が収録されていることもあり、アルバム全体にも派手さはありませんが、とてもおだやかで心にしみる優しさが漂っています。演奏も、オーケストラで大仰に盛り上げたりせず、淡々としたアレンジになっていますが、それが余計に楽曲自体の持つドラマ性、ロマンティシズムを引き出しています。
いいアルバムです。