EVIATAR BANAI


EVIATAR BANAI (1997年)

   エヴィアタール・バナイ / エヴィタール・バナイ
    (HED ARZI MUSIC: 15829 / イスラエル盤CD)



    jacket photo
  1. (曲名:記述&解読不能)







イスラエルのシンガー・ソングライターだそうです。かろうじてアーティスト名だけはアルファベット表記があるので、おそらくエヴィアタール・バナイとでも読めばいいんだろうということはわかるのですが、それ以外はイスラエル語(?)で書かれているため、曲名とかぜんぜん読めません。読む以前に、どっちが上か下かもわからないです。

13曲が収録されたこのアルバムは、どうやらデヴュー作らしく、このあとにも何枚かの作品をリリースしているようなので、それなりに人気があるのでしょう。このCDを販売していたショップでは「イスラエルのMauro Pelosi(マウロ・ペローシ)」のような紹介のしかたをしていましたが、自分はあまりMauroとの共通性や類似性を感じませんでした。

イスラエル語を音として聴くのは、たぶん自分ははじめてです。印象としては、母音と子音をはっきりと発音するフランス語みたいな感じでしょうか。フランス語の「R」は「ふごっ」といった感じの発音をしますが、イスラエル語にはこの音をさらに強調したような、あまりきれいな音ではない発音があるようで、美しいメロディのなかにその音が出てくると、一気に興醒めです。

曲自体はメロディアスで、ロマンティックでもあり、ピアノとストリングスが寂しげに響いたりもして、ほんのりとシャンソン風の雰囲気を持ったロマン派カンタウトーレといった印象です。こういった感じはMauroではなく、べつに誰か似た感じの人がいたような気がするのですが、思い出せません。細めの歌声も寂しげ、頼りなげで、歌自体はうまくないのですが聴かされてしまいます。

いくぶん明るめの曲や、ちょっとだけリズムの強い曲もありますが、全体を包み込んでいるトーンは寂しげ。この「寂しそう」な感じは、たとえばFranco Simone(フランコ・シモーネ)の『Vocepiano』とかが好きな人などには心に響きそうです。

そうか、自分のほかに誰かがいる(いてほしい)「寂しさ」があるところが、「自分しかいない」世界にいるMauroとの違いなのかもしれませんね。

(2003.06.14)







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