LUCIO BATTISTI


AMORE E NON AMORE (1970年)

   ルチオ・バッティスティ / 8月7日午後
    (DISCHI RICORDI ORL 8030 / イタリア盤LP)



battisti3
  1. DIO MIO NO
       おお神よ
  2. SEDUTO SOTTO UN PLATANO CON UNA MARGHERITA IN BOCCA GUARDANDO IL FIUME NERO MACCHIATO DALLA SCHIUMA BIANCA DEI DETERSIVI
       プラタナスでの集まり
  3. UNA
       ひとつ
  4. 7 AGOSTO DI POMERIGGIO. FRA LE LAMIERE ROVENTI DI UN CIMITERO DI AUTOMOBILI SOLO IO, SILENZIOSO EPPURE STRAORDINARIAMENTE VIVO
       8月7日午後
  5. SE LA MIA PELLE VUOI
       私を求めるなら
  6. DAVANTI AD UN DISTRIBUTORE AUTOMATICO DI FIORI DELL'AEREOPORTO DI BRUXELLES ANCHI'IO CHIUSO IN UNA BOLLA DI VETRO
       フィオーリ
  7. SUPERMARKET
       スーパーマーケット
  8. UNA POLTRONA, UN BICCHIERE DI COGNAC, UN TELEVISIORE, 35 MORTI AI CONFINI DI ISRAELE E GIORDANIA
       椅子







 ルチオ・バッティスティ(Lucio Battisti)の2nd アルバム。古くから名盤として知られ、キングレコードのユーロロック・シリーズでもはやいうちに国内盤として出ているし、CD になってからも国内再発されているので、それなりに認知度のあるアルバム。
 というか、今ではこれしか国内盤がないから、バッティスティ=このアルバムになってるのかもしれない。

 名盤というものにはいくつかの種類があって、楽曲面で見た名盤や演奏面で見た名盤というように、アルバムを独立したものとして見たときの評価というのが基本なんだけれど、それ以外にも、音楽史の流れのなかで節目となったアルバムなども名盤と呼ばれたりする。そういうアルバムって、「当時としては非常に斬新」とか、「このアルバムがのちの方向性を決定づけた」などといった賛辞が冠せられ、それゆえ名盤と呼ばれるんだけど、何年もあとから聴いたとき、そういう時代性を抜きにしても名盤と感じられるかというと、そうでもないことがある。

 で、バッティスティが1970年に出したこの『8月7日午後(Amore e Non Amore)』は、たぶん歴史のなかで語られる名盤なんじゃないかと自分は思う。
 たとえば、新しいカンタウトーレのスタイルを築いた、とか、バックに参加していた若者達が、のちにプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(Premiata Forneria Marconi / PFM)やフォルムラ・トレ(Formula 3)、イル・ヴォーロ(il Volo)などでイタリアン・ロックにおけるひとつの時代を築いた、とか、シンガーの作品にしては珍しく大胆にインストゥルメンタル・パートを導入した、とか、そういう部分での評価が非常に高いアルバムだけど、じゃぁ純粋に今、アルバムとして楽しめるかというと、ちょっと厳しい面もあるんじゃないか。

 いわゆるフォーク/ロック的なヴォーカル曲とインスト曲が交互に出てくる構成は、今となってはどうということもない。残念だったのは、この2者が融合しなかったところ。完全に分離したものになってる。
 インスト部分はドラマティックだったりして面白くもあるんだけど、歌部分はけっきょく歌。ヴォーカル曲自体に何か引き付けるとか目新しいものは感じない。普通のフォーク/ロックになってる。

 たとえばプログレなどでは「ロックとクラシックの融合」という言葉が昔よく使われていて、有名なところではムーディ・ブルース(the Moody Blues)の『Days of Future Passed』というアルバム(有名な「サテンの夜(Nights in White Satin)」が入ってる)があるんだけど、クラシック・オーケストラをバックに配したという意味では、ディープ・パープル(Deep Purple)なんかも初期の4枚くらいではオーケストラを使っている。だけどディープ・パープルの場合、プログレでもないし、「ロックとクラシックの融合」でもなかった。ロック・パートとクラシック・パートが融合できず、並立、もしくは混在でおわってしまった。
 バッティスティのこのアルバムでも、同様の残念さを感じる。せっかくインスト部分に瑞々しいものを感じるのに、それがヴォーカル部分にまで入り込んでこない。けっきょくヴォーカル曲とインスト曲との並立・混在でおわってしまっている。

 日本で現在まともに紹介されている彼のアルバムがこれだけであること、それが非常に残念だ。
 このアルバムはプログレのシリーズで発売されたため、基本的にその購買層はプログレ・ファンだったと思うが、PFM や イル・ヴォーロなどの関連アーティストからプログレを期待して接しても、充分な満足は得られないだろう。かといって、イタリアの歌もの/カンタウトーレ・ファンがはじめて聴くバッティスティとしても、このアルバムが適しているとは思えない。

 イタリア人の Marco がいうには、「彼はいつだってベスト・イタリアン・ポップス・シンガーだったし、死んだ今だってそうだ。彼はイタリアン・ポピュラー・ミュージック界における天才なんだから」。そして、彼の死を、本当に多くのイタリア人が哀しんでいると伝えてきた。
 それに対し、日本での彼の死に対する反応は鈍い。イタリアン・プログレ・ファン、カンタウトーレ・ファンの間でさえ、ほとんど話題にならない。その理由のひとつが、このアルバムに、このアルバムだけが国内盤として生き残っていることに、あるような気がする。
 もしもヌメロ・ウーノ(Numero Uno)レーベル移籍後のアルバムもきちんと紹介され続けていたなら、日本における彼の位置はもっと違ったものになったんじゃないだろうか。

 自分がはじめて買ったバッティスティのアルバムは、たしか『Anima Latina』だったと思う。もしこのアルバムを最初に買っていたら、それ以外の彼のアルバムを買う気になったか、非常に疑問だ。今では数枚の彼のアルバムを聴いているから、このアルバムもそれなりに楽しむことができるけれど。
 決して悪いアルバムではないと思うし、たしかにイタリアのポピュラー史上に大きな意味を持つ歴史的名盤なのだろうとは思う。だけど、バッティスティの音楽を聴くという意味では、あまりにエキセントリックな、非常に上級者向けのアルバムなんじゃないだろうか。

 はじめて彼のアルバムを聴こうという人には、これ以外のアルバム、たとえば『il Mio Canto Libero』や『Anima Latina』などをおすすめします。

(1998.09.23)








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