LAURA PAUSINI


biography

   ラウラ・パウジーニ/バイオグラフィ







 Laura Pausini(ラウラ・パウジーニ)は1974年5月16日午後5時10分、エミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ近郊のソラローロ(Solarolo)で、父Fabrizio(ファブリツィオ)と母Gianna(ジャンナ)の間に生まれました。

 少女時代のLauraは、地元ソラローロのマドンナ・デッラ・サルーテ教会(the Curch Madonna della Salute)の聖歌隊に参加していました。また、父親のFabrizioと一緒にピアノ・バーで歌ったり、エミリア・ロマーニャ州で行なわれるいくつかのソング・コンテストなどにも参加していました。
 いつかは歌手になりたいと考えていたLauraですが、自分の歌が世界のさまざまな人に聴かれるようになるとは、そのときは思いもしていませんでした。

 1991年に新人歌手の登竜門であるカストロカーロ・フェスティバルに参加しましたが、残念ながらよい評価を得られませんでした。しかし、Lauraのヴォーカリストとしての才能を見抜いたMarco Marati(マルコ・マラーティ)は、彼女を1993年のサンレモ音楽祭へ連れて行くことと決めました。

 1993年、「La solitudine」でサンレモ音楽祭に参加したLauraは、新人部門で優勝しました。そしてリリースされたファースト・アルバム『Laura Pausini』は、イタリアのみならずヨーロッパ全土でのヒットとなりました。
 翌94年もサンレモ音楽祭に参加したLauraは「Strani amori」を歌い、3位入賞しました。セカンド・アルバム『Laura』もヨーロッパの多くの国でロング・セラーとなりました。

 イタリアでの地位を確立したLauraは、イタリア以外の国における可能性を試すため、およそ2年にわたってイタリアを離れることを決めました。

 1994年には、ファースト・アルバムのスペイン語ヴァージョンがリリースされました。そして1995年には、「Starani amori」のスペイン語ヴァージョン「Amores extranos」がビルボードにおけるラテン音楽チャートでトップに輝きました。またベスト新人女性ヴォーカリスト部門でも、Maraiah Carey(マライア・キャリー)につぐ2位に選ばれました。
 そのほか、もっともアルバムが売れたイタリアン・アーティストとして1994年のワールド・ミュージック・アワードをモンテカルロで受賞し、マイアミではアメリカにデヴューした新人ラテン・シンガーに与えられるLo Nuestro賞も受賞しました。

 1995年10月にはスペインで、スペイン人シンガー以外でははじめて、スペイン国内で100万枚以上のアルバムを売った歌手に送られるプラチナ・グローブ賞に輝きました。
 また95年には、Elton John(エルトン・ジョン)やMadonna(マドンナ)との仕事で知られるTim Rice(ティム・ライス)により、「La solitudine」の英語ヴァージョンもリリースされました。

 1996年9月にはアルバム『Le Cose Che Vivi』がイタリア、スペインでリリースされ、またポルトガル語による3曲を収録した特別ヴァージョンがブラジル向けにリリースされました。

 1997年には、スイスからスタートしてイタリア、ベルギー、オランダ、フランス、スペイン、ポルトガル、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、カナダ、アメリカ、モナコへと世界を回るツアーを行ない、それぞれのコンサートをソールド・アウトにしました。

 1998年10月15日にリリースされた『La Mia Risposta』は、日本も含め50カ国以上でリリースされました。このアルバムはイタリア語ヴァージョンとスペイン語ヴァージョンの2種類が録音されました。

 また98年10月、Kevin Costner(ケヴィン・コスナー)やPaul Newman(ポール・ニューマン)が出演した映画『Message in a Bottle』のサウンドトラック用に「One more time」をアメリカで録音しました。

 1999年には、Barbra Streisand(バーバラ・ストライザンド)、Celine Dion(セリーヌ・ディオン)、Mariah Carey(マライア・キャリー)などのプロデューサーとして名高いDavid Foster(デヴィッド・フォスター)のプロデュースにより、ファースト・アルバムの英語ヴァージョンもレコーディングされました。
 また、はじめてのオフィシャル・ヴィデオ『Laura Pausini Video collection』も発売され、イタリア、スペインで2万本以上も売れました。

 そして2000年、Lauraは次のアルバムの制作に取り掛かっています。このアルバムもイタリア語ヴァージョンとスペイン語ヴァージョンがリリースされる予定です。また、英語ヴァージョンのリリースも待っています。

(2000.05.03)








Musica

Pensiero! -- la Stanza di MOA

(C)MOA

inserted by FC2 system