MASSIMO DI CATALDO


IL MIO TEMPO (2001年)

   マッシモ・ディ・カタルド / イル・ミオ・テンポ
    (EPIC/SONY MUSIC ENTERTAINMENT: EPC 503229 2 / オランダ盤CD)



    jacket photo
  1. IL MIO TEMPO
  2. CHE SARA' DI ME
  3. SOLI
  4. LIBERI COME IL SOLE
  5. UNA RAGIONE DI PIU'
  6. FINE CORSA
  7. SE ADESSO TE NE VAI
  8. CON IL CUORE (Precious Moments)
  9. ANIME (Rou)
  10. CAMMINANDO
  11. COSA RIMANE DI NOI
  12. SENZA DI TE
  13. COME SEI BELLA
  14. NON CI PERDEREMO MAI
  15. RAGAZZA
  16. UN GIORNO VORREI...







気がつくと、いつのまにか中堅カンタウトーレになっていたMassimo Di Cataldo(マッシモ・ディ・カタルド)のベスト盤。M1「Il mio tempo」とM16「Un giorno vorrei...」は新曲らしいです。

Massimoに限ったことではありませんが、ベスト盤って、基本的に退屈です。「ベスト」というくらいだから、個々の曲はどれもクオリティの高い曲、キャッチーでシングル向きな曲が集められているのでしょうが、そういう曲を集めた結果、同じようなクオリティ、同じような傾向の曲ばかりが収録されてしまい、CDトータルとして聴いたときに飽きてきちゃうことがしばしばです。

これがオリジナル・アルバムだったら、途中でわざと「はずす曲」を入れたり「遊ぶ曲」を入れたり「つなぎの小曲」を入れたりなどして、アルバム全体としてのリズムや抑揚をつけることができるのですが、ベスト盤ではそういった曲はカットされちゃいますからね。ベスト盤に限らず、アルバムは「シングル(にもできる)曲の集合体」と考えている(のだろう)最近のアーティストのアルバムも、ずっと聴いてるとやはり退屈。そういう意味では、否定的な意味でむかしよく使われていた「捨て曲」というのも、じつは必要なのかもしれません。

で、MassimoのこのCDですが、個々の曲はまぁまぁいいです。でも、すごくいいというわけではなく、アヴェレージ。普通です。Massimoのヴォーカルも、まぁまぁうまいんだけど、個性があまりありません。普通です。結果として、曲も歌も「普通にきれいでいいんじゃない」という感じになってます。

この「普通」さが、かなりの弱点だと感じます。M5「Una ragione di piu'」ではEros Ramazzotti(エロス・ラマッゾッティ)が、M6「Fine corsa」ではRenato Zero(レナート・ゼロ)が参加して、Massimoとデュエットしています。Massimoにとって残念なのは、Erosの声が入ると、その曲はErosの曲に聞こえてしまうこと。Renatoのヴォーカルが入ると、その曲はRenatoのものに聞こえてしまうこと。ErosやRenatoがソロでヴォーカルをとってるパートだけでなく、Massimoのヴォーカルとかぶさっているときでさえ、Massimoの曲じゃないように聞こえてしまうんです。

相手がErosにRenatoと、イタリアン・シンガーのなかでもとくにヴォーカルに個性がある人だからということもありますが、それでも、自分でつくって自分がメインで歌っている曲なのに、ちょっと参加してるだけの彼らに全部持ってかれちゃうような印象を与える(少なくとも自分にはそう感じられた)ってのは、カンタウトーレとしてはかなりきついと思います。曲にも歌声にも個性がなさすぎなんですよ。

いいものは持ってます。平均点はラクにクリアしています。あとは、もっと「Massimoならでは」といった部分があればなぁと、自分としては残念に思うシンガーなんですよね、彼。ま、そういった個性(=クセ)がないところが、聴きやすくていい、評価できるっていう考え方もあるのではありますが。

(2004.07.25)







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