prodotto & arrantigato da Tony Cicco
batteria & computer programming: Tony Cicco
tastiere: Silvano Melgiovanni
chitarre: Angelo Anastasio, Andrea Pistilli
もともとは1997年にリリースされた『Voce e batteria』の再リリースCDのようです。タイトルが変わっただけで、収録内容に変更はない模様。
Tony Cicco(トニー・チッコ)といえば、自分のようにイタリアン・プログレッシヴからイタリアン・ポップスの世界に入ってきた人にとってはFormula 3(フォルムラ・トレ)のドラマーという印象が強いのですが、Formula 3が解散したのって1973年ですものねぇ(その後、1990年頃に再結成されましたけど)。グループ解散後はソロ・シンガーとして活動を始め、ソロ・デビューである名作カンタウトーレ・アルバム『Notte』をCico(チコ)名義でリリースしたわけですが、その後の彼の活動って、ほとんど(というか、自分的には完全に)ノーチェックでした。
で、このアルバムです。イタリアのネットショップで安く売ってたので、なんとなく買ってみました。ドラム・セットのうしろで立ち上がり、スティック2本を握った右手を前に差し出し、マイクに向かって決めているジャケット写真のTonyは、いまにも「おまえのっ、すべぇて〜」(from 「好きさ、好きさ、好きさ」。古っ)と歌いだしそうですが、顔が思いっきり笑顔なのでこの曲は歌わないでしょう(あれは苦しげに歌わないとね)。
すべての曲の作曲にTonyがからんでます。2曲ではGaio Chiocchio(ガイオ・キォッキォ)、1曲でMario Casteunuovo(マリオ・カステルヌオヴォ)のクレジットも見られます。しかし、GaioやMarioがからんでいる(おそらく作詞の部分でしょう)からといって、カンタウトーレ的なロマンティックさや趣の深さが出るわけではなく、アルバム全体を通しては小洒落た雰囲気をぷんぷん振りまく軽快なポップス作品になっています。
M1の「Yeah boom boom」はタイトルどおり、「イエー、ブンブン」って感じのリズミカルな曲で、このままToni Esposito(トニ・エスポジト)のようなパーカッシヴ・フュージョンになっていくのかと一瞬思いましたが、Tony Ciccoのドラムってどちらかというと「歌う」系なので(だからIl voloには呼ばれなかったのか?)、そうはなっていかないのでした。しかし、やはりドラマーのつくったアルバムですから、リズミックな曲は多いですね。そこに都会的な洗練が加わり、ときに英米のシティ・ポップス風だったりします。
ドラムはもちろんTony自身が叩いており、最近の打ち込みドラムに支配された躍動感のないリズムとは違う、人間らしいあたたかみが感じられます。この点はグッド。しかし、ベースはコンピュータによるプログラミングで、音もフレーズも単調なのが残念。やはりベースとドラムは人間がそれぞれに息を合わせつつおたがいを刺激してグルーヴ感を出していくのがいいです。コンピュータだとどうしても「揺れ」が少ないし、あっても意図的な揺れになっちゃうのよねぇ。
どの曲もポップで軽やかで聴きやすく、またTonyはあいかわらずひび割れたいい声をしていて、ちょっとしたブレイクタイムにリラックスして聴く分にはよさそうです。ただ、それぞれの曲は悪くないのだけど、これといって飛びぬけた名曲や印象に残る曲がないのが残念なところ。そのため、アルバムとしての起伏やドラマ性には欠けています。
そんななかでもGaioが曲づくりに絡んでいるアルバム・タイトル曲のM7「Ogni volta che vedo il mare」は、ポップながらもカンタウトーレらしいフレーズが見え隠れし、もしやここから盛り上がるか、という予感を抱かせるのですが、予感だけで終わってしまいました。この予感をさらに推し進めるような、もっと魅きつける、印象的な曲が1曲でもあれば、アルバムの印象もずいぶん変わったことでしょう。逆にいえば、これといって強い個性が曲にないので、聴いていてじゃまにならない、聴きやすいともいえます。カフェとかでBGMにかけておく分にはいいかもしれません。
ちなみにアルバムの最後は「Raindance」という短い曲なのですが、タイトルどおり、雨乞いの踊りのような、ちょっと儀式めいた雰囲気を持った妙な曲です。なぜこれがアルバムのエンディング? なんか締まらないなぁ。